東周列國志第四十五回 晋の襄公、墨の喪服で秦を破る/先元帥、冑を脱いで翟に殉ずる (晉襄公墨縗敗秦 先元帥免冑殉翟)

先軫の秦討伐論

  • 話は、中軍元帥の先軫がすでに秦国の鄭襲撃の謀りごとを知っていたところに戻る。先軫は襄公に会いに行き、言った。「秦は蹇叔・百里奚の諫めに背いて、千里も人を襲おうとしております。これは卜偃が『鼠が西から来て我が垣根を越える』と言った、まさにその兆しです。急いでこれを撃たなければなりません、機を逃してはなりません!」
  • 欒枝は進み出て言った。「秦には先君に大きな恩がございます、まだその徳に報いていないのに、その軍を討つのは、先君に対してどうなるのでしょうか。」先軫は言った。「これはまさに先君の志を継ぐ所以でございます。先君の喪に際し、同盟国は弔問と哀悼に忙しいはずのところ、秦は哀憫の情を示すことなく、兵を我が境を越えさせ、我が同姓の国(鄭)を討とうとしています。秦の無礼はこれより甚だしいものはありません!先君もまた必ず九泉の下で恨みを抱かれることでしょう、それでどうして徳に報いる必要がございましょうか。それに両国には約束があり、互いに兵を出し合う仲であったのに、鄭を包囲する戦役では我らを裏切って去った、秦の交誼もまた知れたものです。彼が信を顧みないのに、我らがどうして徳を顧みる必要がありましょうか。」
  • 欒枝はさらに言った。「秦はまだ我が境を犯していないのに、これを撃つのはあまりに行き過ぎではないでしょうか。」先軫は言った。「秦が我が先君を晋に立てたのは、晋を好んでのことではなく、自らを助けるためです。我が先君が諸侯の伯となられたことを、秦は表面上は従っていても、内心では忌み嫌っております。今、喪に乗じて兵を用いるのは、明らかに我らが鄭を庇うことができないと侮っているのです、我が兵が出なければ、まことに無力になってしまいます。鄭を襲うことをやめなければ、その勢いは晋を襲うことにも及びましょう。諺に『一日敵を放てば、数世にわたって禍を残す』と申します。もし秦を撃たなければ、どうして自立できましょうか。」
  • 趙衰は言った。「秦は撃つべきとはいえ、我が主君はまだ喪に服す粗い敷物の中にあられます、にわかに軍を興すのは、居喪の礼に反するのではないかと恐れます。」先軫は言った。「礼では、人の子が喪に居るには、粗い敷物に寝起きし、それによって孝を尽くすものです。強敵を討ち滅ぼして社稷を安んずることこそ、孝の何よりも大なるものではございませんか。諸卿がもし不可とお考えなら、臣一人で行かせていただきましょう!」胥臣らも皆その謀りに賛成した。先軫はそこで襄公に黒く染めた喪服のまま兵を治めることを願い出た。
  • 襄公は言った。「元帥は秦の兵がいつ戻ると見込んでいるか。どの道を通るか。」先軫は指を折って計算し、言った。「臣の見立てでは、秦の兵は必ず鄭に勝てないでしょう。遠征で後続もなく、勢いは長く続けられません、総じて往復の期間を数えれば、四月余りになりましょう、初夏には必ず澠池を通過するはずです。澠池は秦・晋の境であり、その西に崤山という二つの山がございます。東崤から西崤まで、相距たること三十五里、これが秦の帰国に必ず通る道でございます。その地は樹木が生い茂り山石が険しく屹立し、数箇所は車が通れない場所がございます、必ず馬を解いて徒歩で進まねばなりません。もしこの場所に伏兵を置けば、不意を突いて、秦の兵将をことごとく俘虜にすることができましょう。」
  • 襄公は「ただ元帥の采配に任せる」と言った。

崤山への伏兵計画

  • 先軫はそこで自分の子の先且居に、屠擊とともに兵五千を率いさせ、崤山の左に伏せさせた。胥臣の子の胥嬰に、狐鞫居とともに兵五千を率いさせ、崤山の右に伏せさせた。秦兵が到着する日、左右から夾撃させることにした。狐偃の子の狐射姑に、韓子輿とともに兵五千を率いさせ、西崤山に伏せさせ、あらかじめ樹木を伐り倒して帰路を塞がせた。梁繇靡の子の梁弘に、萊駒とともに兵五千を率いさせ、東崤山に伏せさせ、秦兵がすべて通過し終えるのを待って、これを兵で追わせることとした。先軫は趙衰・欒枝・胥臣・陽処父・先蔑ら一連の古参の将とともに、晋の襄公に随行し、崤山から二十里離れた場所に陣を張り、それぞれ隊伍を分けて、四方から呼応する準備を整えた。まさに次の通りであった。「仕掛け弓を整えて猛虎を射、香餌を用意して大魚を釣る」。

秦軍、澠池に至る

  • さて秦の兵は春二月の中頃、滑国を滅ぼし、その輜重(軍需の荷駄)を奪い、満載して帰る途中であった。ただ鄭を襲撃して功を挙げられなかったので、これによってその罪を贖おうとしていた。時に夏四月上旬、澠池まで進んだとき、白乙丙が孟明に言った。「ここから澠池を過ぎて西へ行くと、まさに崤山の険しい道です、我が父はくれぐれも慎重にせよと言い聞かせておりました、総大将は軽々しくお考えになってはいけません。」孟明は言った。「私は千里を駆けてきて、これまで恐れることもなかった、まして崤山を過ぎれば、もう秦の境である、家郷はすぐそこ、緊急のことがあっても頼りにできる、何を心配することがあろうか。」西乞術は言った。「総大将は虎のような威勢をお持ちとはいえ、慎重にして失敗のないようにしてください。もし晋に伏兵があれば、突然起こったとき、どう防ぐのですか。」孟明は言った。「将軍がそれほど晋を恐れるのなら、私が先に行こう、もし伏兵があれば、私が自ら対処しよう!」
  • そこで驍将の褒蛮子を遣わし、元帥の百里の旗印を掲げさせ、先に道を開かせに行かせた。孟明は第二隊、西乞は第三隊、白乙は第四隊とし、互いに一、二里の間隔を空けた。

褒蛮子と萊駒の遭遇

  • さて褒蛮子は八十斤の重さの一本の方天画戟を使い慣れており、飛ぶように振り回し、自ら天下に敵なしと思っていた。車を駆って澠池を過ぎ、西の道へと進んだ。東崤山まで来ると、突然山の窪地から鼓の音が大いに轟き、一隊の車馬が飛び出してきた。車上には一人の大将が立ち、前方を遮って「そなたは秦の将、孟明ではないか。我らは長らく待ち構えていた」と尋ねた。褒蛮子は「来られた将軍の姓名を通されよ」と言った。その将は答えて「我こそは晋国の大将、萊駒である」と言った。
  • 蛮子は言った。「お前の国の欒枝や魏犨を寄越すがよい、まだしも一戦する張り合いがある。お前ごときの名もなき小卒が、どうして我が帰路を阻めよう。さっさと道を開けよ。もし手間取れば、この戟のひと突きに耐えられまいぞ。」萊駒は大いに怒り、長戈を伸ばして胸を突こうとしたが、蛮子は軽く払いのけ、勢いに乗じて戟で突き返した。萊駒は慌てて避けたが、その戟の勢いはあまりに重く、車の衡(くびき)に突き刺さった。蛮子は戟を一捻りし、衡の木を二つに折ってしまった。萊駒はその神業のような勇に感嘆して、「見事な孟明よ、名は虚しからず!」と褒め称えた。
  • 蛮子はからからと大笑して言った。「私は孟明元帥配下の牙将、褒蛮子である!我が元帥がどうしてお前のような鼠輩と交戦なさろうか!さっさと逃げよ、我が元帥がすぐ後から到着すれば、お前の軍は一人も生き残れぬぞ!」萊駒は魂も消える思いで、こう考えた。「牙将でさえこれほどの英雄なら、孟明本人はどれほどのものか分からぬ。」そこで大声で叫んだ。「通してやろう、我が軍を傷つけないでくれ!」そして車馬を片側に寄せ、褒蛮子の前隊を通過させた。
  • 蛮子はすぐに兵士を遣わして総大将の孟明に報告させた。「わずかな晋軍の伏兵に出会いましたが、すでに撃退いたしました。急ぎ進んで合流し、崤山を過ぎればもう心配ございません。」孟明はこれを聞いて大いに喜び、西乞・白乙の両軍を急がせ、ともに進発させた。
  • さて萊駒は兵を率いて梁弘のもとへ行き、褒蛮子の勇猛ぶりを盛んに語った。梁弘は笑って言った。「たとえ鯨や蛟であろうと、すでに鉄網に入ってしまったからには、どうしてその変化を発揮できようか。我らは兵を動かさず待機し、彼らがすべて通り過ぎるのを待って、後ろから追撃すれば、完全な勝利を得られよう。」

晋軍の包囲と秦軍の壊滅

  • さて孟明ら三人の将は、東崤に入り、数里ほど進んだ。地名を上天梯・墮馬崖・絶命巖・落魂澗・鬼愁窟・断雲峪といい、一帯はすべて名の知られた険所で、車馬が通れないほどであった。前哨の褒蛮子は、すでに遠く先へ行ってしまっていた。孟明は「蛮子はすでに去った、もう伏兵の心配はあるまい」と言い、軍将に命じて手綱の縄を解かせ、鎧兜を脱がせ、馬を牽いて進む者、車を支えて過ぎる者があり、一歩ごとに躓きながら、極めて難儀な道のりであり、一段一段途切れ途切れで、まるで隊列の体をなさなかった。
  • ある人がこう尋ねた。「秦の兵が先日この道を通って来たときも、同じ崤山を通ったのに、これほど多くの艱難はなかったはずだ、今回はなぜこれほどとなったのか。」これには理由があった。当初、秦の兵が出発した日は、勢いに乗じ、晋の兵の妨げもなく、軽い車と速い馬で、ゆっくりと、思うがままに通過し、その苦しさに気づかなかった。今日は、往来千里の旅で、人馬ともに疲れ果て、また滑国から多くの子女や金や絹を略奪したため、荷物が重くのしかかり、それに晋の兵に一度出くわしたため、なんとか押し切ったとはいえ、まだ前方に伏兵があるのではと心配で、心中慌ただしく、いっそう艱難を増したのは、自然の道理であった。
  • 孟明らは上天梯という第一の険所を通り過ぎ、まさに進んでいる最中に、微かに鼓角の音が聞こえ、後隊の者が報告に来た。「晋の兵が後方から追ってきております!」孟明は「私たちがこれほど進むのが難しいのだ、彼らも容易ではあるまい、ただ前方の阻害を心配すればよい、なぜ後方の追撃を恐れる必要があろうか。全軍に命じよ、急ぎ前進せよ!」と言い、白乙に先行させ、「私が自ら殿を務め、追撃を防ごう」と言った。
  • そのまま墮馬崖を通り過ぎた。まもなく絶命巖に近づくと、皆が声を上げ、「前方に乱雑な木々が道を塞いでおり、人馬とも通れません、どうしたらよいでしょう」と報告した。孟明は「この乱木はどこから来たのか、もしや前方に果たして伏兵があるのではないか」と思い、自ら前へ進んで見に行った。見れば巖の傍らに一つの碑があり、五文字が刻まれていた、「文王避雨の処」と。碑の傍らには赤い旗が一本立てられており、旗竿の長さは約三丈余り、旗には「晋」の一字があった。旗の下には縦横に乱木が積み重なっていた。
  • 孟明は「これは疑兵の計であろう。事すでにここに至った以上、たとえ伏兵があろうとも、進むしかない」と言い、兵士にまず旗竿を倒させ、それから柴木をどけさせて、通行できるようにさせた。
  • 実はこの「晋」字の赤い旗こそが、伏兵の合図であった。彼らは巖谷の人目に付かぬ場所に伏せ、旗が倒れるのを望み見て、秦兵が到着したと知るや、一斉に動き出したのであった。秦の軍がちょうど柴木を運び出しているところへ、突然前方から雷のような鼓の音が響き、遠くに旌旗が閃くのが見え、どれほどの軍馬か見当もつかなかった。
  • 白乙丙はひとまず武器を整え、突破の構えをさせた。見れば山の高い岩の上に、一人の将軍が立っていた、姓は狐、名は射姑、字は賈季という者であった。大声で叫んだ。「お前の先鋒の褒蛮子はすでに捕らえてここに縛ってある。来た者は早々に降伏せよ、屠戮を免れさせてやろう!」実は褒蛮子は勇に頼んで前進したところ、落とし穴に落ち、晋の軍がかぎ竿で引っかけて引き上げ、囚車に縛り上げていたのであった。
  • 白乙丙は大いに驚き、人を遣わして西乞術と総大将の孟明に知らせ、力を合わせて道を切り開く方策を相談させた。孟明はこの道筋を見ると、幅は一尺ほどしかなく、一方は険しい峰と切り立った岩、一方は万丈の深い谷に臨んでいた、これが落魂澗であった。たとえ千軍万馬があっても、動きようがなかった。
  • 孟明は一計を案じ、令を伝えた。「ここは交戦する地ではない、全軍を一斉に東崤の広い場所へ引き返させよ、そこで死力を尽くして戦い、改めて手を打とう。」白乙丙は将令を受け、軍馬を引き返させた。道中、鐘と太鼓の音が絶え間なく続いた。ようやく墮馬崖まで戻ったとき、東の道には旌旗が続々と連なり、それは大将の梁弘と副将の萊駒が、五千の人馬を率いて、後ろから一歩一歩襲いかかってくるところであった。
  • 秦の軍は墮馬崖を通れず、また引き返すしかなかった。この時はまるで蟻が熱い盤の上にいるかのように、東へ西へと転げ回り、定まった場所がなかった。孟明は兵士に左右両側から、山を登り谷を越えて出口を探らせた。すると左の山頭で鐘と太鼓が乱れ鳴り、左に一隊の軍が陣を占めており、「大将先且居が北にいるぞ、孟明よ早々に降伏せよ」と叫んだ。右側では谷を隔てて砲声一発、山谷にこだまし、また大将胥嬰の旗印が翻った。
  • 孟明はこの時、万本の矢が心を刺すように、まったく手の打ちようがなかった。兵士たちはそれぞれ分かれて逃げ惑い、山を登り谷を越えたが、皆晋の兵に斬られ捕らえられた。孟明は大いに怒り、西乞・白乙の二将とともに、なお斬り進んで墮馬崖まで攻め寄せた。あの柴木にはすべて硫黄と焔硝の引火物が混ぜられており、韓子輿が火をかけると、「炎々と煙が天を覆い迷わし、真っ赤に燃える火の星が地に撒かれる」ありさまとなった。後方からは梁弘の軍馬がすでに到着し、孟明ら三人の将は追い詰められて苦しみの声を上げるばかりであった。
  • 左右前後すべて晋の兵で埋め尽くされ、孟明は白乙丙に言った。「そなたの父はまことに神算であった!今日、絶地に困窮し、我らは必ず死ぬだろう。お前たち二人は服を変えて、それぞれ逃げのびよ。万一天の幸いがあり、一人でも秦国に帰ることができれば、我が主君に奏上し、兵を興して仇を報いてくれ、九泉の下でも安堵できよう!」西乞術・白乙丙は泣いて言った。「我らは生きるも死ぬも共にするつもりです、たとえ脱出できたとしても、どんな面目で一人だけ故国に帰れましょうか……」言い終わらぬうちに、手勢の兵はみるみる散り尽くし、車や武器が道々に積み重なった。
  • 孟明ら三人の将は、施す術もなく、巖の下に集まって、縛られるのを座して待った。晋の兵は四方から包囲を狭め、饅頭のように、秦の兵将を餡のようにして、一人一人手を束ねて捕らえられた。血に染まって谷川を流れ、屍は山道に横たわり、一匹の馬も一つの車輪も逃れ出たものはなかった。髯翁の詩がある。
  • (詩:千里を征く雄心もひとたび消え失せ、西崤にはもはや一輪の車も戻らなかった。晋帥の奇計を誇るまでもない、蹇叔が先に涙を流していたのだからという趣旨)

褒蛮子の最期

  • 先且居ら諸将は東崤の下に集まり、三人の将と褒蛮子を囚車に乗せた。俘虜となった兵士や車馬、および滑国から略奪した多くの子女や玉や絹は、すべて晋の襄公の大営へ護送された。襄公は黒く染めた喪服のまま俘虜を受け、軍中は歓呼して大地を揺るがせた。
  • 襄公は三人の将の姓名を尋ね、また「褒蛮子とは何者か」と尋ねた。梁弘は言った。「この者は牙将とはいえ、人並み外れた勇があり、萊駒はかつて一度苦戦しました、もし落とし穴に落ちなければ、なお制するのは難しかったでしょう。」襄公は驚いて言った。「これほど勇猛であるなら、生かしておけば変事があるかもしれぬ!」萊駒を呼び寄せて言った。「お前は先日彼に戦で敗れた、今日は寡人の前で、その首を斬って恨みを晴らすがよい。」
  • 萊駒は命を受け、褒蛮子を庭の柱に縛りつけ、大刀を手にして、まさに斬りかかろうとした。蛮子は大声で叫んだ。「お前は我が手にかかって敗れた者だ、どうして我を犯そうとするのか!」この一声は、まるで真っ青な空に雷が落ちたようで、建物までが揺れ動いた。蛮子はその叫び声とともに、両腕を突っ張ると、麻縄がすべて切れた。萊駒は大いに驚き、思わず手が震えて、刀を地に落としてしまった。蛮子はその大刀を奪おうとした。
  • 傍らにいた小校の一人、名を狼曋という者がこれを見て、先に刀を奪い取り、蛮子を一刀で切り倒し、さらにもう一刀で首を斬り落とし、晋侯の前に献じた。襄公は大いに喜んで言った。「萊駒の勇は、一人の小校にも及ばぬな。」そこで萊駒を退けて用いず、狼曋を車右の職に立てた。狼曋は謝恩して退出したが、自ら君の御知遇を得たと思い、元帥の先軫のところへは謝礼に行かなかった。先軫はこれを心中不快に思った。

秦の三将の釈放

  • 翌日、襄公は諸将とともに凱旋して帰り、殯(もがり)が曲沃にあるため、いったん曲沃へ帰った。絳へ戻った後、秦の将、孟明らの三人を太廟に献俘し、その後に刑を執行するつもりであった。まず秦を破った功を殯宮に告げ、そのまま埋葬の準備に取りかかった。襄公は黒く染めた喪服のまま葬儀を見守り、それによって戦功を表した。
  • 母君の嬴氏は、葬儀に立ち会うために曲沃にいたが、すでに三人の将が捕らえられたとの報せを知り、わざと襄公に尋ねた。「我が軍が勝利し、孟明らが皆捕らえられたと聞いております、これは社稷の福でございましょう。しかしまだ誅殺されたかどうか存じません。」襄公は「まだです」と答えた。
  • 文嬴は言った。「秦・晋は代々婚姻の間柄であり、互いにたいそう仲睦まじくございました。孟明らは功を貪って事を起こし、みだりに干戈を動かし、両国の恩を仇に変えてしまいました。私が思いますに、秦君はきっとこの三人を深く恨んでおられることでしょう。我が国がこれを殺しても益はございません、むしろこれを釈放して秦へ帰し、その君に自ら誅を加えさせて、両国の怨みを解くのが良いのではございませんか、まことに美しいことではございませんか。」
  • 襄公は「三人の将は秦で実権を握り国政を担う者たちです、これを捕らえながら釈放しては、晋の患いを残すことを恐れます」と言った。文嬴は言った。「『兵に敗れた者は死する』のが国の常刑でございます。楚の兵がひとたび敗れたとき、得臣は誅に伏しました。どうして秦国だけに軍法がないことがございましょうか。まして当時、晋の恵公が秦に捕らえられたとき、秦君はこれに礼を尽くして帰しております、秦が我らに礼を示したことはこのようでございました。ほんのわずかな敗軍の将を、必ず自らの手で処刑にかけようとなさるのでは、我が国が情に欠けることを露わにするだけでございます。」
  • 襄公は最初は聞き入れなかったが、恵公を放って帰したことを言われるに及んで、はっと心を動かされた。すぐさま有司に詔して三人の将の囚われを解かせ、秦国へ帰らせた。孟明らは囚われから脱すると、礼を述べに参内することもせず、頭を抱えて鼠のように逃げ去った。

先軫の激怒と陽処父の追跡

  • 先軫はちょうど家で食事をしていたが、晋侯がすでに三人の将を赦したと聞き、口の中の物を吐き出して参内し、怒気を漲らせて襄公に問うた。「秦の囚人はどこにいますか。」襄公は「母君が、彼らを釈放して秦へ帰し、その君の手で刑を加えさせるよう願われたので、寡人はすでにこれに従った」と言った。
  • 先軫は激怒して襄公の顔に唾を吐いて言った。「ちっ!小僧め、事の重大さが分かっておらぬ!武夫が千辛万苦して、ようやくこの囚人を捕らえたのに、女の一言で台無しにするとは。虎を野に放つようなものだ、後日必ず悔やむことになろう!」襄公はようやく目が覚め、顔を拭って謝って言った。「寡人の過ちであった!」そこで一同に尋ねた。「誰か秦の囚人を追える者はいるか。」陽処父が願い出た。先軫は「将軍、心して行きなさい、もし追いつければ、それこそ第一の功である」と言った。
  • 陽処父は追風馬を駆り、斬将刀を振るって、曲沃の西門を出て孟明を追った。史臣に、襄公が先軫を容れられたことを讃える詩があり、それゆえに覇業を継ぐことができたと詠んでいる。詩にいわく。
  • (詩:婦人の一言が武夫の功を軽々しく失わせてしまい、先軫はそのとき怒気を漲らせた。襄公は顔を拭ってその諫言を受け入れ、少しも怒りの色を見せなかった、こうしてようやく襄公が覇業を継ぐにふさわしいと知れたという趣旨)

孟明の脱出

  • さて孟明ら三人は、大難を脱すると、道中で相談した。「我らがもし河を渡ることができれば、それこそ生き返ったも同然だ、そうでなければ、なお晋君が追悔することを恐れる、どうすればよいか。」河のほとりに着くと、船が一艘もなく、嘆じて言った。「天は我らを見捨てたのだ!」嘆きの声もまだ終わらぬうちに、一人の漁翁が、小艇を漕いで、西からやって来るのが見えた。口の中で歌を歌っていた。
  • (歌:囚われの猿が檻を離れ、囚われの鳥が籠を出るがごとし、我に出会う者あらば、かえって敗を転じて功となそうという趣旨)
  • 孟明はその言葉を不思議に思い、呼びかけた。「漁翁よ、我らを渡してくれ!」漁翁は「私は秦人を渡す、晋人は渡さぬ」と言った。孟明は「我らはまさに秦人だ、早く渡してくれ」と言った。漁翁は「そなたは崤中で敗れた者ではないか」と言った。孟明は「その通りだ」と答えた。漁翁は言った。「私は公孫将軍の命令を奉じ、特に舟をここに用意してあなた方をお待ちしておりました、もう一日や二日のことではございません。この舟は小さく、大人数を乗せられません、この先半里ほど行けば大船がございます、将軍はすぐそちらへ行かれるがよろしいでしょう。」そう言い終わると、その漁翁は棹を返して西へ去り、飛ぶように行ってしまった。
  • 三人の将は河沿いに西へ進んだ。半里も行かぬうちに、果たして数隻の大船が河中に泊まっており、岸から矢の届く半分ほどの距離にあり、あの漁舟がすでにそこで招いていた。孟明と西乞・白乙は裸足で船に乗り込んだ。まだ漕ぎ出さないうちに、東岸に一人の将官が、車に乗ってやって来た、それは大将の陽処父であった。
  • 大声で「秦の将よ、待たれよ!」と叫んだ。孟明らはそれぞれ驚いた。しばらくして、陽処父は車を河岸に止め、孟明がすでに舟の中にいるのを見て、一計を案じた。自分の乗っている車の左の添え馬を解き、襄公の命だと偽って孟明に賜り、「わが君は将軍が乗るべき馬に不自由なさることを心配され、処父にこの良馬を追って贈らせ、いささか敬意を表するようにと申されました。どうか将軍、お納めください」と言った。
  • 陽処父の本意は、孟明を岸に上らせて対面させ、馬を受け拝謝させ、その隙に縛り上げることであった。しかしあの孟明はすでに網を脱した魚、「金の鉤を脱け出た以上、二度と戻ってこない」というもの、心中でもこの手を警戒しており、どうして再び岸に上がるものか。船の舳先に立ち、遠くから陽処父を望んで、深く頭を下げて拝謝し、「殺されなかった御恩、すでに多大なるものをこうむっております、どうして再び良馬の賜りを受けられましょうか。この度の行、わが君がもし処刑を加えられなければ、三年の後、必ず自ら貴国に参り、晋君の賜りを拝謝いたしましょう」と言った。
  • 陽処父はさらに口を開こうとしたが、見れば船頭や水夫が櫂と棹を操り、船はすでに中流へ漕ぎ出してしまっていた。陽処父は呆然として何かを失ったかのようで、悶々として帰り、孟明の言葉を襄公に奏上した。先軫は憤然として進み出て言った。「彼が『三年の後、晋君の賜りを拝謝する』と言ったのは、晋を討伐して仇を報いようとするつもりに他なりません。その新たに敗れて意気消沈しているうちに、先んじてこれを討ち、その謀りごとを未然に断つべきです。」襄公はこれをもっともとし、秦を討つことを相談した。

秦穆公の悔悟

  • 話は変わって、秦の穆公は三人の将が晋に捕らえられたと聞き、また憂え怒り、寝食もままならなかった。数日経って、三人の将がすでに釈放され帰国したと聞き、喜色を浮かべた。左右の者たちは皆言った。「孟明らは軍を喪失し国を辱めました、その罪は誅に当たります。昔、楚は得臣を殺して三軍を戒めました、主君もこの法をお行いになるべきです。」穆公は言った。「孤が自ら蹇叔と百里奚の諫めを聞かず、それによって三人の将に累を及ぼした、罪は孤にある、他の者にはない。」そこで白い喪服姿で郊外まで出迎え、哭して慰め、再び三人の将に兵を主どらせ、いっそう手厚く礼遇した。
  • 百里奚は嘆じて「私たち父子が再び相まみえることができたのは、すでに望外の喜びだ」と言い、そのまま老齢を理由に致仕を願い出た。穆公はそこで繇余・公孫枝を左右の庶長とし、蹇叔・百里奚の位に代えた。この話はしばらく置いておく。

翟の来襲

  • さて晋の襄公はまさに秦を討つことを議していたところ、突然辺境の役人が急報を寄せた。「今、翟の主、白部胡が、兵を率いて境界を犯し、すでに箕城を越えました。どうか兵を発して防禦していただきますよう!」襄公は大いに驚いて「翟と晋には何の遺恨もないはずなのに、どうして侵犯してくるのか」と言った。
  • 先軫は言った。「先君文公は、出奔中に翟に身を寄せられました。翟君は二隗(二人の隗氏の女)を我が君臣に妻わせ、十二年もの間、厚くもてなしました。先君が帰国された後も、翟君はまた人を遣わして拝賀し、二隗を晋に送り届けました。先君の代には、一束の絹すら翟に贈ったことがございませんでした。翟君は先君との好誼を念頭に、隠忍して口に出しませんでした。今、その子の白部胡が位を継ぎ、自らの勇に頼み、それゆえ喪に乗じて攻めてきたのでございましょう。」
  • 襄公は「先君は王事に勤労され、私的な恩に報いる暇がなかった。今、翟君が我が国の喪に乗じて攻めてくるのは、我らへの仇である、卿にこれを討伐する任を負わせよう」と言った。

先軫の辞職願いと襄公の慰留

  • 先軫は再拝して辞退して言った。「臣は秦の将の帰還を悔しがり、一時の怒りに駆られ、君の御顔に唾を吐きました、無礼はなはだしいことでございました。臣が聞くところでは『兵事は整うことを尚び、ただ礼こそが民を整えることができる』と申します。無礼な者は帥たるに堪えません。どうか主公、臣の職を罷免し、他に良将をお選びください!」
  • 襄公は言った。「卿は国のために憤ったのだ、それは忠心が激したものであろう、寡人はどうしてそれを分からずにいられようか。今、翟を防ぐこの任は、卿でなければ務まらない、卿はどうか辞退しないでくれ。」先軫はやむを得ず、命を受けて退出し、嘆じて言った。「私はもとより秦で死ぬつもりであったのに、まさか翟で死ぬことになろうとは。」これを聞いた者は誰もその意味が分からなかった。襄公は自ら絳都へ帰っていった。

狼曋の黜落

  • さて先軫は中軍帳に上がり、諸軍を集め、諸将に問うた。「誰が先鋒の前部を務めたいか。」一人が昂然として進み出て「それがし、志願いたします」と言った。先軫が見ると、新たに右車将軍に任じられた狼曋であった。先軫は彼が謝礼に訪れなかったことをすでに不快に思っており、この度自ら先陣を志願したのを見て、いっそう不快の念を強めた。そこで叱って言った。「お前は新参の小卒に過ぎぬ、たまたま一人の囚人を斬っただけで、重用されるようになったのだ。今、大敵が国境にあるというのに、お前がまったく謙遜する様子もないのは、我が陣中に良将が一人もいないと侮っているのではないか。」
  • 狼曋は「小将は国家のために力を尽くしたいと願っております、元帥はなぜお止めになるのですか」と言った。先軫は「眼前にも力を尽くす者は少なくない、お前にどんな計略や武勇があって、諸将の上を掩おうとするのか」と言い、そのまま叱りつけて用いなかった。狐鞫居に崤山の夾撃の功があったので、これに代えて用いた。
  • 狼曋は首をうなだれ嘆息して退出した。途中で友人の鮮伯に出会い、尋ねられた。「元帥が敵を防ぐ将を選んでいると聞いたが、お前はどうしてこんなところをぶらついているのか。」狼曋は「私は自ら先鋒を志願した、もとより国家のために力を尽くすためであったが、思いもよらず先軫のあの奴の怒りに触れてしまった。彼は私にどんな計略や武勇があって諸将の上を掩おうとするのかと言い、すでに私の職を罷免し用いない、と言うのだ」と言った。
  • 鮮伯は大いに怒って言った。「先軫は賢者を妬み能ある者を嫉むやつだ、私とお前とで家の召使いを集めて、あの奴を刺し殺し、胸の内の不平の気を晴らそうではないか、たとえ死んでもすっきりするだろう。」狼曋は言った。「いけない、いけない!立派な男子たる者、死ぬなら必ず名を残さねばならぬ。不義に死ぬのは勇ではない。私は勇によって君の知遇を受け、戎右となった。先軫は私を勇なしとして退けた。もし不義に死ねば、これは私の今日の黜落が、一人の不義の者を黜落させたことになり、かえって嫉妬深い者に口実を与えることになってしまう。お前はしばらく待つがよい。」鮮伯は嘆じて「お前の高い見識には、私は及ばない!」と言い、狼曋とともに帰った。この話はここまでとする。後世の人に、先軫が狼曋を退けたことの非を論じる詩がある。詩にいわく。
  • (詩:戈を提げ将を斬るほどの勇は孟賁にも劣らぬのに、車右への昇進は主君の恩によるものであった。力を尽くしたことに何の罪があって退けられ追放されたのか、古来忠勇の者はしばしば冤罪を呑まされるものだという趣旨)

箕の戦いと白部胡の討死

  • さて先軫は自分の子の先且居を先鋒とし、欒盾・郤缺を左右の隊とし、狐射姑・狐鞫居を後詰とし、車四百乗を発し、絳都の北門を出て、箕城へ向けて進発した。両軍は相まみえ、それぞれ陣を張って停まった。
  • 先軫は諸将を呼び集め、計略を授けて言った。「箕城には大谷という地がある。谷の中は広々としており、まさに車戦に適した地である。その傍らには木々が多く、伏兵を置くことができる。欒・郤の二将は、兵を分けて左右に伏せよ。且居が翟と交戦し、負けたふりをして谷の中へ誘い込めば、伏兵が一斉に起こり、翟主を捕らえることができよう!二狐は兵を率いて後詰とし、翟の兵が馳せて救援に来るのを防げ。」諸将はこの計略通りに行動した。先軫は大営を後方十里余りに移して陣を張った。
  • 翌朝、両軍は陣を結び、翟主の白部胡は自ら戦を挑んだ。先且居は数合戦っただけで、車を引いて退いた。白部胡は百余騎を率いて、勇んで追撃した。先且居に誘われて大谷に入り込むと、左右の伏兵が一斉に起こった。白部胡は精一杯奮戦し、左に突き右に突いたが、翟の騎兵百余は、みるみるうちに折れ尽きてしまった。晋の兵もまた多くの損傷を被った。しばらくして、白部胡は重囲を突破したが、誰もこれを防げなかった。谷口に近づいたとき、一人の大将に出会い、斜めから颼と一矢が飛び、まさに白部胡の顔面に命中し、身を翻して馬から落ちた。兵士たちが進み出てこれを捕らえた。矢を射たのは、新たに下軍大夫に任じられた郤缺であった。矢は後頭部まで貫通し、白部胡はたちまち息絶えた。郤缺は翟主だと見て取り、その首を斬って功として献じた。
  • 時に先軫は中軍にあり、白部胡が捕らえられたと聞いて、頭を天に向けて連呼した。「晋侯には福運がある!晋侯には福運がある!」そのまま紙と筆を求め、上奏文を一通したため、机の上に置いた。諸将に告げることもなく、ただ陣中の腹心数人とともに、単独の車に乗って翟の陣へ馳せ入っていった。

先軫の壮絶な最期

  • さて白部胡の弟の白暾は、まだ兄の死を知らず、まさに兵を率いて前方の応援に向かおうとしていた。突然たった一台の戦車が馳せて来るのを見て、敵を誘き寄せる兵かと疑い、白暾は急いで刀を提げて出迎えた。先軫は戈を肩に横たえ、目を見開いて大喝一声、目尻はことごとく裂け、血が顔に流れた。白暾は大いに驚き、数十歩後退した。後続の兵がいないのを見て、令を伝え、弓兵に囲ませて射させた。
  • 先軫は神のような勢いを奮い起こし、往来しながら駆け巡り、手ずから頭目三人、兵士二十余人を殺したが、その身には少しの傷もなかった。(実はこれらの弓兵は、先軫の勇に恐れをなし、あらかじめ手が萎えてしまい、放つ矢に力がなかったのである。また先軫は身に重い鎧を着けていたので、どうして矢が突き通せようか。)
  • 先軫は射られても傷を受けないのを見て、自ら嘆じて言った。「私が敵を殺さなければ、私の勇を明らかにできない、すでに私の勇を知らしめた以上、これ以上多く殺す必要があろうか。私はここで死のうと思う!」そこで自ら甲冑を解いて矢を受けた。矢は蝟(はりねずみ)のように集まったが、身は死んでも屍は倒れなかった。
  • 白暾はその首を斬ろうとしたが、その怒りの目を見開き髭を逆立てた様は、生きているときと変わらぬのを見て、心中大いに恐れた。見知っている兵士がいて、「これは晋の中軍元帥先軫である」と言った。白暾はそこで衆を率い、屍を取り囲んで居並び拝礼し、嘆じて「まことに神人である!」と言った。祈って言った。「神よ、我が翟に帰って供養されることをお許しくださるならば、倒れてください!」しかし屍は元のように直立したままであった。そこで祈りを改めて言った。「神は晋国に還りたいとお望みなのでしょうか、それならば我らがお送りいたしましょう。」祈り終わると、屍はそのまま車の上に倒れ伏した。晋国へどう送り届けたかは、次回を見よ。
原文(底本)
話說中軍元帥先軫,已備知秦國襲鄭之謀,遂來見襄公曰:「秦違蹇叔百里奚之諫,千里襲人。此卜偃所謂『有鼠西來,越我垣牆』者也。急擊之,不可失!」欒枝進曰:「秦有大惠於先君,未報其德,而伐其師,如先君何?」先軫曰:「此正所以繼先君之志也,先君之喪,同盟方弔恤之不暇,秦不加哀憫,而兵越吾境,以伐我同姓之國,秦之無禮甚先!先君亦必含恨於九泉,又何德之足報?且兩國有約,彼此同兵,圍鄭之役,背我而去,秦之交情,亦可知矣。彼不顧信,我豈顧德?」欒枝又曰:「秦未犯吾境,擊之毋乃太過?」先軫曰:「秦之樹吾先君於晉,非好晉也,以自輔也。君之伯諸侯,秦雖面從,心實忌之。今乘喪用兵,明欺我之不能庇鄭也,我兵不出,真不能矣!襲鄭不已,勢將襲晉,諺云:『一日縱敵,數世貽殃。』若不擊秦,何以自立?」趙衰曰:「秦雖可擊,但吾主苫塊之中,遽興兵革,恐非居喪之禮。」先軫曰:「禮,人子居喪,寢處苫塊,以盡孝也。翦強敵以安社稷,孝孰大焉?諸卿若云不可,臣請獨往!」胥臣等皆贊成其謀。先軫遂請襄公墨縗治兵。襄公曰:「元帥料秦兵何時當返?從何路行?」先軫屈指算之曰:「臣料秦兵,必不能克鄭。遠行無繼,勢不可久,總計往返之期,四月有餘,初夏必過澠池。澠池乃秦晉之界,其西有崤山兩座,自東崤至於西崤,相去三十五里,此乃秦歸必由之路。其地樹木叢雜,山石崚嶒,有數處車不可行,必當解驂下走。若伏兵於此處,出其不意,可使秦之兵將,盡為俘虜。」襄公曰:「但憑元帥調度。」先軫乃使其子先且居,同屠擊引兵五千,伏於崤山之左;使胥臣之子胥嬰,同狐鞫居引兵五千,伏於崤山之右;候秦兵到日,左右夾攻。使狐偃之子狐射姑同韓子輿,引兵五千,伏於西崤山,預先砍伐樹木,塞其歸路。使梁繇靡之子梁弘同萊駒,引兵五千,伏於東崤山,只等秦兵盡過,以兵追之。先軫同趙衰、欒枝、胥臣、陽處父、先蔑一班宿將,跟隨晉襄公,離崤山二十里下寨,各分隊伍,准備四下接應。正是:「整頓窩弓射猛虎,安排香餌釣鰲魚。」

  再說秦兵於春二月中,滅了滑國,擄其輜重,滿載而歸。只為襲鄭無功,指望以此贖罪。時夏四月初旬,行及澠池,白乙丙言於孟明曰:「此去從澠池而西,正是崤山險峻之路,吾父諄諄叮囑謹慎,主帥不可輕忽。」孟明曰:「吾驅馳千里,尚然不懼,況過了崤山,便是秦境,家鄉密邇,緩急可恃,又何慮哉?」西乞術曰:「主帥雖然虎威,然慎之無失。恐晉有埋伏,卒然而起,何以禦之?」孟明曰:「將軍畏晉如此,吾當先行,如有伏兵,吾自當之!」乃遣驍將褒蠻子,打著元帥百里旗號,前往開路。孟明做第二隊,西乞第三隊,白乙第四隊,相離不過一二里之程。卻說褒蠻子慣使著八十斤重的一枘方天畫戟,掄動如飛,自謂天下無敵。驅車過了澠池,望西路進發。行至東崤山,忽然山凹裏鼓聲大震,飛出一隊車馬,車上立著一員大將,當先攔路,問:「汝是秦將孟明否?吾等候多時矣。」褒蠻子曰:「來將可通姓名。」那將答曰:「吾乃晉國大將萊駒是也!」蠻子曰:「教汝國欒枝魏犨來到,還鬥上幾合戲耍,汝乃無名小卒,何敢攔吾歸路?快快閃開,讓我過去。若遲慢時,怕你捱不得我一戟!」萊駒大怒,挺長戈劈胸刺去,蠻子輕輕撥開,就勢一戟刺來,萊駒急閃,那戟來勢太重,就刺在那車衡之上。蠻子將戟一絞,把衡木折做兩段。萊駒見其神勇,不覺贊嘆一聲道:「好孟明,名不虛傳!」蠻子呵呵大笑曰:「我乃孟明元帥部下牙將褒蠻子便是!我元帥豈肯與汝鼠輩交鋒耶?汝速速躲避,我元帥隨後兵到,汝無噍類矣!」萊駒嚇得魂不附體,想道:「牙將且如此英雄,不知孟明還是如何?」遂高聲叫曰:「我放汝過去,不可傷害吾軍!」遂將車馬約在一邊,讓褒蠻子前隊過去。蠻子即差軍士傳報主帥孟明,言:「有些小晉軍埋伏,已被吾殺退,可速上前合兵一處,過了崤山,便沒事了。」孟明得報大喜,遂催趲西乞白乙兩軍,一同進發。且說萊駒引兵來見梁弘,盛述褒蠻子之勇。梁弘笑曰:「雖有鯨蛟,已入鐵網,安能施其變化哉?吾等按兵勿動,俟其盡過,從後驅之,可獲全勝。」

  再說孟明等三帥,進了東崤,約行數里,地名上天梯、墮馬崖、絕命巖、落魂澗、鬼愁窟、斷雲峪,一路都是有名的險處,車馬不能通行。前哨褒蠻子,已自去得遠了。孟明曰:「蠻子已去,料無埋伏矣。」吩咐軍將,解了轡索,卸了甲冑,或牽馬而行,或扶車而過,一步兩跌,備極艱難,七斷八續,全無行伍。有人問道:「秦兵當日出行,也從崤山過去的,不見許多艱阻。今番回轉,如何說得恁般?」這有個緣故。當初秦兵出行之日,乘著一股銳氣,且沒有晉兵攔阻,輕車快馬,緩步徐行,任意經過,不覺其若。今日往來千里,人馬俱疲困了,又擄掠得滑國許多子女金帛,行裝重滯,況且遇過晉兵一次,雖然硬過,還怕前面有伏,心下慌忙,倍加艱阻,自然之理也。孟明等過了上天梯第一層險隘,正行之間,隱隱聞鼓角之聲,後隊有人報道:「晉兵從後追至矣!」孟明曰:「我既難行,他亦不易,但愁前阻,何怕後追?吩咐各軍,速速前進便了!」教白乙前行:「我當親自斷後,以禦追兵。」又驀過了墮馬崖。將近絕命巖了,眾人發起喊來,報道:「前面有亂木塞路,人馬俱不能通,如何是好?」孟明想:「這亂木從何而來?莫非前面果有埋伏?」乃親自上前來看,但見巖旁有一碑,鐫上五字道:「文王避雨處。」碑旁豎立紅旗一面,旗竿約長三丈有餘,旗上有一「晉」字。旗下都是縱橫亂木。孟明曰:「此是疑兵之計也。事已至此,便有埋伏,只索上前。」遂傳令教軍士先將旗竿放倒,然後搬開柴木,以便跋涉。誰知這面晉字紅旗,乃是伏軍的記號。他伏於巖谷僻處,望見旗倒,便知秦兵已到,一齊發作。秦軍方纔搬運柴木,只聞前面鼓聲如雷,遠遠望見旌旗閃爍,正不知多少軍馬。白乙丙且教安排器械,為沖突之計。只見山巖高處,立著一位將軍,姓狐名射姑,字賈季,大叫道:「汝家先鋒褒蠻子,已被縛在此了。來將早早投降,免遭屠戮!」原來褒蠻子恃勇前進,墮於陷坑之中,被晉軍將撓鉤搭起,綁縛上囚車了。白乙丙大驚,使人報知西乞術與主將孟明,商議並力奪路。孟明看這條路徑,只有尺許之闊,一邊是危峰峻石,一邊臨著萬丈深溪,便是落魂澗了,雖有千軍萬馬,無處展施。心生一計,傳令:「此非交鋒之地。教大軍一齊退轉東崤寬展處,決一死戰,再作區處。」白乙丙奉了將令,將軍馬退回。一路聞金鼓之聲,不絕於耳。纔退至墮馬崖,只見東路旌旗,連接不斷,卻是大將梁弘同副將萊駒,引著五千人馬,從後一步步襲來。秦軍過不得墮馬崖,只得又轉。此時好像螞蟻在熱盤之上,東旋西轉,沒有個定處。孟明教軍士從左右兩旁,爬山越溪,尋個出路。只見左邊山頭上金鼓亂鳴,左有一枝軍占住,叫道:「大將先且居在北,孟明早早投降!」右邊隔溪一聲砲響,山谷俱應,又豎起大將胥嬰的旗號。孟明此時,如萬箭攢心,沒擺佈一頭處。軍士每分頭亂竄,爬山越溪,都被晉兵斬獲。孟明大怒,同西乞白乙二將,仍殺到墮馬崖來。那柴木上都摻有硫黃燄硝引火之物,被韓子輿放起火來,燒得「燄騰騰煙漲迷天,紅赫赫火星撒地。」後面梁弘軍馬已到,逼得孟明等三帥叫苦不迭。左右前後,都是晉兵布滿,孟明謂白乙丙曰:「汝父真神算也!今日困於絕地,我死必矣!你二人變服,各自逃生。萬一天幸,有一人得回秦國,奏知吾主,興兵報仇,九泉之下,亦得吐氣!」西乞術白乙丙哭曰:「吾等生則同生,死則同死,縱使得脫,何面目獨歸故國?……」言之未已,手下軍兵,看看散盡,委棄車仗器械,連路堆積。孟明等三帥,無計可施,聚於巖下,坐以待縛。晉兵四下圍裹將來,如饅頭一般,把秦家兵將,做個餤子,一個個束手受擒。殺得血污溪流,屍橫山徑,匹馬隻輪,一些不曾走漏。髯翁有詩云:

    千里雄心一旦灰,西崤無復隻輪回;休誇晉帥多奇計,蹇叔先曾墮淚來。

  先且居諸將會集於東崤之下,將三帥及褒蠻子,上了囚車。俘獲軍士及車馬,並滑國擄掠來許多子女玉帛,盡數解到晉襄公大營,襄公墨縗受俘,軍中歡呼動地。襄公問了三帥姓名,又名:「褒蠻子何人也?」梁弘曰:「此人雖則牙將,有兼人之勇,萊駒曾失利一陣,若非落於陷坑,亦難制縛。」襄公駭然曰:「既如此驍勇,留之恐有他變!」喚萊駒上前:「汝前日戰輸與他,今日在寡人面前,可斬其頭以洩恨。」萊駒領命,將褒蠻子縛於庭柱,手握大刀,方欲砍去。那蠻子大呼曰:「汝是我手下敗將,安敢犯吾?」這一聲,就如半空中起個霹靂一般,屋宇俱震動。蠻子就呼聲中,將兩臂一撐,麻索俱斷。萊駒吃一大驚,不覺手顫,墮刀於地。蠻子便來搶這把大刀。有個小校,名曰狼曋,從旁觀見,先搶刀在手,將蠻子一刀劈倒,再復一刀,將頭割下,獻於晉侯之前。襄公大喜曰:「萊駒之勇,不及一小校也!」乃黜退萊駒不用,立狼曋為車右之職。狼曋謝恩而出,自謂受知於君,不往元帥先軫處拜謝。先軫心中,頗有不悅之意。

  次日,襄公同諸將奏凱而歸,因殯在曲沃,且回曲沃。欲俟還絳之後,將秦帥孟明等三人獻俘於太廟,然後施刑。先以敗秦之功,告於殯宮,遂治窀穸之事。襄公墨縗視葬,以表戰功。母夫人嬴氏,因會葬亦在曲沃,已知三帥被擒之信,故意問襄公曰:「聞我兵得勝,孟明等俱被囚執,此社稷之福也。但不知已曾誅戮否?」襄公曰:「尚未。」文嬴曰:「秦晉世為婚姻,相與甚歡。孟明等貪功起釁,妄動干戈,使兩國恩變為怨。吾量秦君,必深恨此三人。我國殺之無益,不如縱之還秦,使其君自加誅戮,以釋二國之怨,豈不美哉?」襄公曰:「三帥用事於秦,獲而縱之,恐貽晉患。」文嬴曰:「『兵敗者死』,國有常刑。楚兵一敗,得臣伏誅。豈秦國獨無軍法乎?況當時晉惠公被執於秦,秦君且禮而歸之,秦之有禮於我如此。區區敗將,必欲自我行戮,顯見我國無情也。」襄公初時不肯,聞說到放還惠公之事,悚然動心。即時詔有司釋三帥之囚,縱歸秦國。孟明等得脫囚繫,更不入謝,抱頭鼠竄而逃。先軫方在家用飯,聞晉侯已赦三帥,吐哺入見,怒氣沖沖,問襄公:「秦囚何在?」襄公曰:「母夫人請放歸即刑,寡人已從之矣。」先軫勃然唾襄公之面曰:「咄!孺子不知事如此!武夫千辛萬苦,方獲此囚,乃壞於婦人之片言耶?放虎歸山,異日悔之晚矣!」襄公方才醒悟,拭面而謝,曰:「寡人之過也!」遂問班部中:「誰人敢追秦囚者?」陽處父願往。先軫曰:「將軍用心,若追得,便是第一功也。」陽處父駕起追風馬,掄起斬將刀,出了曲沃西門,來追孟明。史臣有詩讚襄公能容先軫,所以能嗣伯業。詩曰:

    婦人輕喪武夫功,先軫當時怒氣沖,拭面容言無慍意,方知嗣伯屬襄公。

  卻說孟明等三人,得脫大難,路上相議曰:「我等若得渡河,便是再生,不然,猶恐晉君追悔,如之奈何?」比到河下,並無一個船隻,嘆曰:「天絕我矣!」嘆聲未絕,見一漁翁,蕩著小艇,從西而來,口中唱歌曰:

    囚猿離檻兮,囚鳥出籠。有人遇我兮,反敗為功。

孟明異其言,呼曰:「漁翁渡我!」漁翁曰:「我渡秦人,不渡晉人!」孟明曰:「吾等正是秦人,可速渡我!」漁翁曰:「子非崤中失事之人耶?」孟明應曰:「然。」漁翁曰:「吾奉公孫將軍將令,特艤舟在此相候,已非一日矣。此舟小,不堪重載,前行半里之程有大舟,將軍可以速往。」說罷,那漁翁反棹而西,飛也似去了。三帥循河而西,未及半里,果有大船數隻泊於河中,離岸有半箭之地,那漁舟已自在彼招呼。孟明和西乞白乙跣足下船,未及撐開,東岸上早有一位將官,乘車而至,乃大將陽處父也。大叫:「秦將且住!」孟明等各各吃驚。須臾之間,陽處父停車河岸,見孟明已在舟中,心生一計,解自家所乘左驂之馬,假托襄公之命,賜與孟明:「寡君恐將軍不給於乘,使處父將此良馬,追贈將軍,聊表相敬之意。伏乞將軍俯納!」陽處父本意要哄孟明上岸相見,收馬拜謝,乘機縛之。那孟明漏網之魚,「脫卻金鉤去,回頭再不來」,心上也防這一著,如何再肯登岸。乃立於船頭之上,遙望陽處父,稽首拜謝曰:「蒙君不殺之恩,為惠已多,豈敢復受良馬之賜?此行寡君若不加戮,三年之後,當親到上國,拜君之賜耳!」陽處父再欲開口,只見舟師水手運槳下篙,船已蕩入中流去了。陽處父惘然如有所失,悶悶而回,以孟明之言,奏聞於襄公。先軫忿然進曰:「彼云『三年之後,拜君之賜』者,蓋將伐晉報仇也。不如乘其新敗喪氣之日,先往伐之,以杜其謀。」襄公以為然,遂商議伐秦之事。

  話分兩頭。再說秦穆公聞三帥為晉所獲,又悶又怒,寢食俱廢。過了數日,又聞三帥已釋放還歸,喜形於色。左右皆曰:「孟明等喪師辱國,其罪當誅。昔楚殺得臣以警三軍,君亦當行此法也。」穆公曰:「孤自不聽蹇叔百里奚之言,以累及三帥,罪在於孤,不在他人。」乃素服迎之於郊,哭而唁之,復用三帥主兵,愈加禮待。百里奚嘆曰:「吾父子復得相會,已出望外矣!」遂告老致政。穆公乃以繇余公孫枝為左右庶長,代蹇叔百里奚之位。此話且擱過一邊。

  再說晉襄公正議伐秦,忽邊吏馳報:「今有翟主白部胡,引兵犯界,已過箕城。望乞發兵防禦!」襄公大驚曰:「翟晉無隙,如何相犯?」先軫曰:「先君文公,出亡在翟,翟君以二隗妻我君臣,一住十二年,禮遇甚厚。及先君返國,翟君又遣人拜賀,送二隗還晉。先君之世,從無一介束帛,以及於翟。翟君念先君之好,隱忍不言。今其子白部胡嗣位,自恃其勇,故乘喪來伐耳。」襄公曰:「先君勤勞王事,未暇報及私恩。今翟君伐我之喪,是我仇也,子載為寡人創之。」先軫再拜辭曰:「臣忿秦帥之歸,一時怒激,唾君之面,無禮甚矣!臣聞『兵事尚整,惟禮可以整民。』無禮之人,不堪為帥。願主公罷臣之職,別擇良將!」襄公曰:「卿為國發憤,乃忠心所激,寡人豈不諒之?今禦翟之舉,非卿不可,卿其勿辭!」先軫不得已,領命而出,嘆曰:「我本欲死於秦,誰知卻死於翟也!」聞者亦莫會其意。襄公自回絳都去了。

  單說先軫升了中軍帳,點集諸軍,問眾將:「誰肯為前部先鋒者?」一人昂然而出曰:「某願往。」先軫視之,乃新拜右車將軍狼曋也。先軫因他不來謁謝,已有不悅之意,今番自請衝鋒,愈加不喜。遂罵曰:「爾新進小卒,偶斬一囚,遂獲重用。今大敵在境,汝全無退讓之意,豈藐我帳下無一良將耶?」狼曋曰:「小將願為國家出力,元帥何故見阻?」先軫曰:「眼前亦不少出力之人,汝有何謀勇,輒敢掩諸將之上?」遂叱去不用。以狐鞫居有崤山夾戰之功,用以代之。狼曋垂首嘆氣,恨恨而出。遇其友人鮮伯於途,問曰:「聞元帥選將禦敵,子安能在此閒行?」狼曋曰:「我自請衝鋒,本為國家出力,誰知反觸了先軫那廝之怒。他道我有何謀勇,不該掩諸將之上,已將我罷職不用矣!」鮮伯大怒曰:「先軫妒賢嫉能,我與你共起家丁,刺殺那廝,以出胸中不平之氣,便死也落得爽快!」狼曋曰:「不可,不可!大丈夫死必有名。死而不義,非勇也。我以勇受知於君,得為戎右。先軫以為無勇而黜之。若死於不義,則我今日之被黜,乃黜一不義之人,反使嫉妒者得藉其口矣。子姑待之。」鮮伯嘆曰:「子之高見,吾不及也!」遂與狼曋邯同歸。不在話下。後人有詩議先軫黜狼曋之非。詩曰:

    提戈斬將勇如賁,車右超升屬主恩。效力何辜遭黜逐?從來忠勇有冤吞!

  再說先軫用其子先且居為先鋒,欒盾郤缺為左右隊,狐射姑狐鞫居為合後,發車四百乘,出絳都北門,望箕城進發。兩軍相遇,各安營停當。先軫喚集諸將授計曰:「箕城有地名曰大谷,谷中寬衍,正乃車戰之地。其旁多樹木,可以伏兵。欒郤二將,可分兵左右埋伏。待且居與翟交戰,佯敗,引至谷中,伏兵齊起,翟主可擒也!二狐引兵接應,以防翟兵馳救。」諸將如計而行。先軫將大營移後十餘里安紮。

  次早,兩下結陣,翟主白部胡親自索戰。先且居略戰數合,引車而退。白部胡引著百餘騎,奮勇來追。被先且居誘入大谷,左右伏兵俱起。白部胡施逞精神,左一沖,右一突,胡騎百餘,看看折盡。晉兵亦多損傷。良久,白部胡殺出重圍,眾莫能禦。將至谷口,遇著一員大將,刺斜裏颼的一箭,正中白部胡面門,翻身落馬,軍士上前擒之。射箭者,乃新拜下軍大夫郤缺也。箭透腦後,白部胡登時身死。郤缺認得是翟主,割下首級獻功。時先軫在中營,聞知白部胡被獲,舉首向天連聲曰:「晉侯有福!晉侯有福!」遂索紙筆,寫表章一道,置於案上。不通諸將得知,竟與營中心腹數人,乘單車馳入翟陣。

  卻說白部胡之弟白暾,尚不知其兄之死,正欲引兵上前接應。忽見有單車馳到,認是誘敵之兵,白暾急提刀出迎。先軫橫戈於肩,瞪目大喝一聲,目眥盡裂,血流及面。白暾大驚,倒退數十步,見其無繼,傳令弓箭手圍而射之。先軫奮起神威,往來馳驟,手殺頭目三人,兵士二十餘人,身上並無點傷。(原來這些弓箭手,懼怕先軫之勇,先自手軟,箭發的沒力了。又且先軫身被重鎧,如何射得入去?)先軫見射不能傷,自嘆曰:「吾不殺敵,無以明吾勇;既知吾勇矣,多殺何為?吾將就死於此!」乃自解其甲以受箭。箭集如蝟,身死而屍不僵仆。白暾欲斷其首,見其怒目揚鬚,不異生時,心中大懼。有軍士認得的,言:「此乃晉中軍元帥先軫。」白暾乃率眾羅拜,嘆曰:「真神人也!」祝曰:「神許我歸翟供養乎?則仆!」屍僵立如故。乃改祝曰:「神莫非欲還晉國否?我當送回」。祝畢,屍遂仆於車上。要知如何送回晉國,且看下回分解。

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