東周列國志第五十四回 荀林父、部下を放任して師を亡ぼす/孟侏儒、芸人に託して主を悟らせる (荀林父縱屬亡師 孟侏儒託優悟主)
晋の出兵と先穀の独断
- さて、晋の景公は即位して三年目に、楚王が自ら鄭を討伐したと聞き、兵を出してこれを懲らしめようと図った。
- そこで荀林父を中軍元帥に任じ、先穀を副とした。士会を上軍元帥に、郤克を副とした。趙朔を下軍元帥に、欒書を副とした。趙括・趙嬰齊を中軍大夫、鞏朔・韓穿を上軍大夫、荀首・趙同を下軍大夫、韓厥を司馬とした。さらに部将の魏錡、趙旃、荀罃、逢伯、鮑癸ら数十人を配し、兵車あわせて六百乗を起こし、夏六月に絳州から進発した。
- 黄河の口まで進んだところ、前哨から報告が入った。鄭城は楚に長く包囲され、救援を待てず、すでに楚に降伏しており、楚兵もまた北へ帰ろうとしているという。
- 荀林父は諸将を召し、進むか退くかを協議した。士会は言った。「救援が間に合わなかった上に、楚と戦う名分もない。兵を引き上げ、もう一度時を待つべきです。」
- 林父はこれを是とし、諸将に兵を引き上げるよう命じた。
- すると中軍の一人の上将が列座から進み出て言った。「いけません、いけません。晋が諸侯の覇者たりうるのは、傾く国を扶け難を救ってきたからです。今、鄭は救援を待てずやむを得ず楚に降ったのです。もし我らが楚を挫けば、鄭は必ず晋に帰します。今、鄭を捨てて楚から逃げれば、小国はどうして頼りにできましょうか。晋はもう諸侯の覇者たりえません。元帥がどうしても兵を引き上げなさるなら、小将は自ら手持ちの部隊を率いて前進いたす所存です。」
- 荀林父がこれを見ると、中軍副将の先穀、字は彘子であった。
- 林父は言った。「楚王は自ら軍中におり、兵は強く将も多い。そなたの一部の軍が単独で渡っても、肉を飢えた虎に投げ与えるようなものだ。何の益があろうか。」
- 先穀は咆哮して大声で叫んだ。「私が行かなければ、堂々たる晋国に一人も敢えて戦う者がいないと言われよう。それは恥ではないか。この行、たとえ陣前で死のうとも、なお志気を失わぬ。」
- 言い終えると、そのまま陣門を出て行った。趙同・趙括兄弟に出会い、「元帥は楚を畏れて兵を引き上げようとしている。私は独りで渡る」と告げた。
- 趙同・趙括は言った。「男たる者、まさにこうあるべきだ。我ら兄弟も手持ちの部隊を率いて従う所存だ。」
- 三人は将令を受けぬまま、軍を率いて河を渡った。
- 荀首は趙同の姿が見えず、兵士が「すでに先将軍に従って楚軍を迎えに行きました」と報告した。荀首は大いに驚き、司馬の韓厥に告げた。
- 韓厥はわざわざ中軍まで足を運び、荀林父に会って言った。「元帥は彘子が河を渡ったことをお聞きになりましたか。もし楚軍に遭遇すれば、必ず敗れます。あなたは中軍を統べる者であるのに、彘子が師を喪えば、咎はもっぱらあなたにかかります。どうなさるおつもりですか。」
- 林父は驚き恐れて策を問うた。韓厥は言った。「事はすでにここに至りました。三軍そろって進むほかございません。もし勝てばあなたに功があります。万一勝てなくとも、六人で責を分かち合うほうが、独りで罪を負うよりましというものです。」
- 林父は拝して言った。「そなたの言葉は正しい。」そこで三軍そろって渡河する令を発し、敖山・鄗山の間に陣を張った。
- 先穀は喜んで言った。「元帥は私の言葉に逆らえぬと分かっていたわ。」
鄭の両属策と開戦への流れ
- 話は二つに分かれる。さて鄭の襄公は晋の兵が多いことを探り知り、いったん晋が勝てば、鄭が楚に従った罪を討たれることを恐れ、群臣を集めて協議した。
- 大夫の皇戍が進み出て言った。「臣に晋の軍中への使いをお命じください。楚と戦うよう勧めましょう。晋が勝てば晋に従い、楚が勝てば楚に従う。強い方に従うのがよろしいでしょう。何を憂うことがございましょうか。」
- 鄭伯はこの謀を善しとし、皇戍を晋軍中に遣わし、鄭伯の命を伝えさせた。「わが君は大国の救援を、日照りに慈雨を望むように待ち望んでおりました。社稷が危うくなったため、楚にひとまず身を委ね、亡国を免れんとしたのであり、あえて晋に背いたわけではございません。楚軍は鄭に勝って驕り、しかも長く出征して疲弊しております。晋がこれを撃たれるならば、わが国は後詰めとなることを願います。」
- 先穀は言った。「楚を破り鄭を服させるのは、この一挙にあり。」
- 欒書は言った。「鄭人は反覆常なく、その言葉は信じがたい。」
- 趙同・趙括は言った。「属国が助戦しようというのだ。この機を逃してはならぬ。彘子の言葉が正しい。」
- こうして林父の命によらず、先穀とともに皇戍と楚に戦を挑む約束を結んでしまった。
- ところが鄭の襄公はまた別に使者を楚軍中にも遣わし、これも楚王に晋と戦うよう勧めていた。両方をそそのかし、勝敗を座して眺めようという魂胆であった。
- 孫叔敖は晋兵の盛んなことを慮り、荘王に言った。「晋人には決戦の意志がないようです。むしろ講和を申し入れ、それが得られなければ、そこで初めて交戦すればよろしいでしょう。そうすれば理は晋にないことになります。」
- 荘王はこれを是とし、蔡鳩居を晋に遣わし、戦を止めて講和を修めることを求めさせた。
- 荀林父は喜んで言った。「これは両国の福である。」
- 先穀は蔡鳩居に対して罵って言った。「お前たちは我らの属国を奪い、さらに講和の話で我らを油断させようというのか。たとえ我が元帥が講和を望もうとも、この先穀は決して承知せぬ。必ずお前たちを一片の甲冑も残さず殺し尽くし、この先穀の腕前を見せてくれるわ。早く戻って楚君に伝えよ、早く逃げよと、命だけは助けてやる。」
- 蔡鳩居はさんざん罵られ、頭を抱えて逃げ出した。陣門を出ようとしたところ、また趙同・趙括兄弟に出会い、剣で指して言われた。「お前がまた来たら、まずこの剣を味わわせてやるぞ。」
- 鳩居は晋の陣営を出ると、さらに晋将の趙旃にも出会い、弓を彼に向けて言われた。「お前は我が矢の的の肉だ、遅かれ早かれ捕らえてくれる。伝言しておけ、お前の蛮王とやらに気をつけろとな。」
- 鳩居は本陣に戻り、荘王に報告した。荘王は大いに怒り、諸将に問うた。「誰が戦いを挑みに行くか。」
- 大将の楽伯が声に応じて進み出て言った。「臣が参りましょう。」
楽伯の単車挑戦
- 楽伯は一台の戦車に乗り、許伯が御を務め、攝叔が車右となった。許伯は車を風のように駆り、まっすぐ晋の陣営に迫った。楽伯はわざと御者に代わって手綱を執り、許伯に車を降りて馬の胸繋(むながい)を整えさせ、悠然とした様子を見せた。
- 遊兵十余人が通りかかると、楽伯は慌てず一矢を放ち、一人を射倒した。攝叔は車から飛び降り、片手で一人を生け捕りにし、飛び乗って車に戻った。残る兵は喊声をあげてみな逃げた。許伯は再び御をとり、本陣を目指して駆けた。
- 晋軍は楚将が戦いを挑んで人を殺したと知り、三手に分かれて追撃してきた。鮑癸が中央、逢寧が左、逢蓋が右であった。
- 楽伯は大声で言った。「私は左は馬を射、右は人を射る。射損じたら、私の負けとしよう。」
- そこで飾り彫りの弓を満月のごとく引き絞り、左に一矢、右に一矢と、忙しく射込んだが、一寸の狂いもなかった。左では続けざまに三、四頭の馬を射倒し、馬が倒れると車は動けなくなった。右では逢蓋の面上に矢が命中し、兵士で矢傷を負う者が甚だ多かった。左右二手の追撃兵は、ともに進むことができなくなった。
- ただ鮑癸だけがぴったりと後を追い、みるみる迫ってきた。楽伯にはもう一矢しか残っていなかった。その一矢を弓につがえ、鮑癸を射ようとしたが、思った。「この矢が当たらなければ、必ず来将の手にかかることになる。」
- 思案しているうちに、車馬が駆ける間に、麋が一頭前方を横切った。楽伯は心を変え、麋に向かって一矢を放つと、まさにその心臓を貫いた。
- そこで攝叔に車を降りさせて麋を取らせ、鮑癸に献上させて言った。「従者の膳にお使いください。」
- 鮑癸は楽伯の矢が一発も外れぬのを見て内心すでに恐れをなしていたが、麋を献じられたことで、わざと嘆じて言った。「楚将には礼がある。犯すべきではない。」
- 左右に命じて車を返させた。楽伯はゆっくりと引き上げた。
- 詩がある。(詩:一台の戦車で戦いを挑み豪雄を馳せ、車は雷のように轟き馬は龍のよう。弓の名手の将軍を誰が恐れずにいられよう、追撃の軍は首をすくめて風のように逃げ去った、という趣旨)
魏錡・趙旃の勝手な使い
- 晋将の魏錡は鮑癸が楽伯を逃したと知り、心中大いに怒って言った。「楚が戦いを挑みに来たのに、晋国には陣前に出て敢えて戦う者が一人もいないとは、楚人に笑われよう。小将も戦車一台で楚の強弱を探ってみたいと存じます。」
- 趙旃は言った。「小将も魏将軍とともに参りましょう。」
- 荀林父は言った。「楚は先に和を求めてきて、そのうえで戦いを挑んできたのだ。そなたらが楚軍に至れば、和議の話し合いも行うのが答礼というものだ。」
- 魏錡は答えた。「小将はすぐに講和を申し入れましょう。」
- 趙旃は先に魏錡を車に乗せて送り出し、魏錡に言った。「将軍は鳩居の使いへの返礼を、私は楽伯への返礼を、それぞれの役目で果たそうではないか。」
- 上軍元帥の士会はこれを聞き、趙・魏二将が楚に使いに出たと知り、慌てて荀林父に会いその行を止めようとしたが、中軍に着いたときには、二将はすでに出発していた。
- 士会は密かに林父に言った。「魏錡と趙旃は、先祖代々の功に頼りながら重用されず、常々怨望の心を抱いております。しかも血気盛んで進退をわきまえておりません。今回の行きは必ず楚の怒りに触れることでしょう。もし楚兵が突然我らに乗じてきたら、どう防ぎましょうか。」
- そのとき副将の郤克もやってきて言った。「楚の意図は測りがたい。備えなければなりません。」
- 先穀は大声で言った。「今にも殺し合いが始まろうというのに、備えとは何だ。」
- 荀林父は決めかねた。士会は退いて郤克に言った。「荀伯は木偶にすぎぬ。我らで自ら計を立てるほかない。」
- そこで郤克に上軍大夫の鞏朔・韓穿に約束させ、それぞれ手持ちの兵を率い、三か所に分けて敖山の前に伏せさせた。
- 中軍大夫の趙嬰齊もまた晋師の敗北を慮り、あらかじめ人を遣わし黄河の口に舟を用意させた。
魏錡の偽報と荀罃の派遣
- 話は二つに分かれる。さて魏錡は内心荀林父が将たることを妬んでおり、その名声を落とそうとし、林父の前ではただ講和を申し入れるとだけ言いながら、楚軍に至ると自ら戦を挑んで戻ってきた。
- 楚将の潘党は蔡鳩居が晋軍で罵られたことを知っており、今日、魏錡がやって来たことで、ちょうどよい仇討ちの機会と思い、急いで中軍に駆けつけたが、魏錡はすでに陣を出て去っていた。そこで馬を走らせてこれを追った。
- 魏錡が大きな沢まで来たとき、追撃の勢いが厳しいのを見て、まさに対戦しようとした。ふと沢の中に麋が六頭いるのを見て、楚将が麋を射た故事を思い出し、弓を引いてやはり一頭の麋を射倒し、御者に潘党への献上を命じ、言わせた。「先に楽将軍から鮮なる肉を賜ったので、謹んでお返しいたします。」
- 潘党は笑って言った。「彼は私に前の真似をさせようという魂胆だ。もし追撃すれば、我ら楚人に礼儀がないと見なされよう。」
- やはり御者に車を返させた。
- 魏錡は陣に戻ると、偽って言った。「楚王は講和を許さず、必ず一戦して勝負を決すると仰せです。」
- 荀林父は問うた。「趙旃はどこにいるか。」
- 魏錡は言った。「私が先に行き、彼は後から来る予定でしたが、まだ出会っておりません。」
- 林父は言った。「楚がすでに講和を許さぬのであれば、趙将軍は必ず難儀するであろう。」
- そこで荀罃に軘車二十乗、歩卒千五百人を率いさせ、趙旃を迎えに行かせた。
趙旃の潜入と潘党の誤報
- 一方、趙旃は夜に楚の軍中に至り、軍門の外に席を布き、車中から酒を取り出して座って飲んだ。従者二十余人に楚の言葉を真似させ、あちこち巡らせて楚軍の合言葉を探らせ、密かに陣中に紛れ込ませた。
- ある兵士が偽りに気づき問い詰めると、その者は刀を抜いて兵士を傷つけた。陣中は大騒ぎとなり、松明を掲げて賊を探し出し、十余人が捕らえられた。残りの者は逃げ出したが、趙旃はなお席の上に平然と座ったままであった。
- 従者たちが趙旃を助け起こし車に乗せたが、御者を探すと、すでに楚軍中で討たれて死んでいた。
- 空が明るくなり始め、趙旃は自ら手綱を執って馬に鞭打ったが、馬は飢えていて速く走れなかった。
- 楚の荘王は陣中に入り込んでいた賊が逃げ去ったと聞き、自ら戎輅(君主の乗る兵車)を駆って兵を率い追撃した。その速さは甚だしかった。
- 趙旃は追いつかれることを恐れ、車を捨てて万松林の中に逃げ込んだが、楚将の屈蕩に見つけられ、彼もまた車を降りて追いかけた。趙旃はよろいの裳(甲裳)を小さな松の木にかけ、身軽になって逃げ延びた。
- 屈蕩はそのよろいの裳と車馬を取り、荘王に献上した。まさに車を返そうとしたとき、遠くに一台の戦車が風のように駆けてくるのが見え、見れば潘党であった。
- 潘党は北を指して土煙を見せ、楚王に言った。「晋の大軍がやって来ました。」
- この土煙は実は荀林父が趙旃を迎えるために遣わした軘車のものであった。潘党は遠くから望み見て大軍と誤認し、軽微な事をおおごとに誇張して報告してしまったため、荘王は驚き顔面蒼白になった。
- そこへ突然南方から鼓角の音が天に轟き、先頭の一員の大臣が一隊の車馬を率いて飛んできた。この大臣とは誰かといえば、令尹の孫叔敖であった。
- 荘王は心中いくぶん落ち着き、問うた。「相国はどうして晋軍の到来を知り、寡人を救いに来たのか。」
- 孫叔敖は答えた。「臣は知りませんでした。ただ君王が軽率に進んで誤って晋軍に踏み込まれることを恐れ、臣がまず駕けつけてお助けにあがった次第です。追って三軍がすぐに参るはずでございます。」
- 荘王が改めて北を望むと、土煙はさほど高くなかった。「大軍ではないな。」
- 孫叔敖は答えた。「『兵法』に、『むしろ我が人に迫るとも、人に我を迫らせるな』とございます。諸将はすでに勢揃いしております。わが王は、ただひたすら攻め進むよう令をお下しください。もし敵の中軍を挫けば、他の二軍は自ずと持ちこたえられなくなりましょう。」
楚軍の総攻撃と晋軍の潰走
- 荘王は果たしてこれを令し、公子嬰齊に副将蔡鳩居を従えて左軍で晋の上軍を攻めさせ、公子側に副将工尹齊を従えて右軍で晋の下軍を攻めさせ、自らは中軍の両広(王直属の親衛二隊)の兵を率い、まっすぐ荀林父の大営に向かった。
- 荘王は自ら太鼓のばちを執って打ち鳴らした。全軍が一斉に太鼓を打ち鳴らし、鼓の音は雷のように轟き、車馬は馳せ、歩卒はその後に従い、飛ぶように前進した。
- 晋軍は全く備えができていなかった。荀林父は鼓の音を聞いてようやく探ろうとしたが、楚軍はすでに山野を覆い尽くし、陣営の外を埋め尽くしていた。まさに不意打ちであった。
- 林父は慌てふためいて策もなく、力を合わせて乱戦を続けよと令を発した。楚兵は一人一人が武勇を誇示し、それぞれが威を張り、まるで海嘯や山崩れ、天が摧け地が崩れるがごとくであった。
- 晋兵はまるで久しい夢からにわかに覚め、深酔いからやっと目覚めたようで、東西南北すら分からなかった。「何の備えもない者が周到に備えた者に出くわす」ようなもので、どうして防ぎきれよう。たちまち魚が跳ね鳥が散るがごとくに、楚兵に瓜を切り菜を刻むように次々と斬られ、四分五裂、木っ端微塵に敗れ去った。
- 荀罃は軘車に乗り、趙旃を出迎えに向かったが会えず、かえって楚将の熊負羈に出くわし、両者は交戦した。楚兵が大挙して押し寄せ、寡兵で衆に敵しえず、歩卒は散り逃げ、荀罃の乗る車の左の添え馬は矢に当たって先に倒れ、ついに熊負羈に捕らえられた。
崩れ落ちる晋軍
- また晋将の逢伯は、二人の子、逢寧・逢蓋とともに一台の小車に乗り、逃走していた。ちょうど趙旃が身一つで逃げて来て、両足はどちらも裂けて傷を負っていた。前方に車に乗る者を見て、大声で叫んだ。「車中の方、どなたですか。どうか乗せてください。」
- 逢伯は趙旃の声だと気づき、二人の子に言いつけた。「速く駆け去れ、決して振り返るな。」
- 二子はその意味が分からず振り返って見てしまうと、趙旃が呼びかけた。「逢殿、私を乗せてくれ。」
- 二子は父に言った。「趙叟が後ろで呼んでおられます。」
- 逢伯は大いに怒って言った。「お前たちが趙叟を見てしまった以上、席を譲るのが道理だ。」
- 二子を叱って車を下ろさせ、手綱を趙旃に渡し、彼を乗せて共に去らせた。逢寧・逢蓋は車を失い、乱軍の中で命を落とした。
- 荀林父は韓厥とともに、後営から車に乗り、敗残の軍卒を率いて、山の右手の道を取り、河沿いに逃げた。捨てた車馬や武具は数え切れなかった。
- 先穀は後から追いついてきたが、額に矢を受け、鮮血が滴り落ちており、戦の上着を裂いて傷を包んでいた。林父は指して言った。「戦うと言った者がこのざまか。」
- 河口に至ると、趙括も到着し、その兄趙嬰齊が密かに舟を用意し、真っ先に河を渡ったことを告げて言った。「我らに知らせもせずとは、いったいどういう了見か。」
- 林父は言った。「生死の際に、いちいち知らせている暇などなかろう。」
- 趙括は恨みが尽きなかった。これより後、嬰齊との間に確執が生じた。
- 林父は言った。「我が軍はもはや戦い続けられぬ。目下の急務は、河を渡ることだ。」
- そこで先穀に河口へ行かせ舟を取り集めさせようとしたが、舟はあちこちに散らばって停泊しており、すぐには集められなかった。
- 混乱している最中、河沿いに無数の人馬が続々と押し寄せてきた。林父が見ると、下軍の正副将、趙朔・欒書であった。楚将の公子側に打ち破られ、残兵を率いてこの道を取ってきたのであった。
- 両軍がそろって岸に集まり、渡河を求めない者はいなかった。舟の数はますます不足した。南を望むと、また土煙が起こった。林父は楚兵が勝ちに乗じて追撃してくることを恐れ、太鼓を打ち鳴らして令を出した。「先に渡河した者に賞を与える。」
- 両軍は舟を奪い合い、殺し合いになった。舟に人がいっぱいになると、後から来る者が舷にすがりつき、次々と舟を転覆させ、さらに三十余艘が壊れた。
- 先穀は舟中で兵士に命じた。「舷にすがり櫂を掴む者は、刀で構わずその手を切り落とせ。」各船もこれに倣った。
- 切り落とされた手指は舟中に、花びらが舞い散るように積もり、両手で掬っても掬いきれぬほどで、それをことごとく河へ投げ捨てた。岸では哭泣の声が響き渡り、山谷にこだまし、天は昏く地は惨め、日の光さえ失われるほどであった。
- 史臣の詩がある。(詩:舟は巨浪にひっくり返り、帆柱までも連なって倒れ、人は洪波に押し流され血にまみれる。哀れなことに数万の山西の兵は、その半ばが黄河で水の犠牲となった、という趣旨)
荀首、わが子を贖う獲物を得る
- 後方からまた土煙が起こり、荀首・趙同・魏錡・逢伯・鮑癸らの敗将たちが次々と逃げてきた。
- 荀首はすでに舟に乗り込んでいたが、その子荀罃の姿が見えず、人を岸に遣わして呼ばせた。すると小卒が荀罃が楚に捕らえられたのを見たと荀首に報告した。
- 荀首は言った。「わが子を失った以上、私は空手で戻るわけにいかぬ。」そこで再び岸に上がり、車を整えて出発しようとした。
- 荀林父はこれを止めて言った。「罃はすでに楚に囚われている。行っても無益だ。」
- 荀首は言った。「他人の子を得れば、我が子と交換できる。」
- 魏錡は日ごろから荀罃と親しく、これまた進んで同行を願った。荀首は大いに喜んだ。
- 荀氏の家兵を集めると、なお数百人が残っていた。しかも彼は平生から民を慈しみ士を大切にし、軍心を大いに得ていたため、下軍の兵たちで岸にいる者はみな喜んで従い、すでに舟中にいた者たちも、下軍の荀大夫が楚軍に息子を捜しに入ろうとしていると聞くと、みな上陸して従い、命をかけて働くことを願った。
- このとき、その士気の鋭さは、全軍が最初に陣を布いたときよりもかえって旺盛であった。
- 荀首は晋国でも指折りの弓の名手であり、良い矢を多く携え、楚軍中に突入した。
- ちょうど老将の連尹襄老が、残された車や武具を回収しているところに出くわした。晋兵の突然の襲来に備えができておらず、荀首の一矢に射られ、まともに頬を貫かれ、車上に倒れた。
- 公子穀臣は襄老が矢に当たったのを見て、車を馳せて救いに来た。魏錡がこれを迎え撃った。荀首が傍らから狙いを定め、さらに一矢を放ち、その右腕に命中した。
- 穀臣は痛みをこらえて矢を抜いたが、魏錡の隙に乗じられ、生け捕りにされ、襄老の屍とともに車に載せられた。
- 荀首は言った。「この二つの獲物があれば、わが子を贖うことができよう。楚の軍勢は強い、これ以上留まってはならぬ。」馬に鞭打って急ぎ引き上げた。楚軍が気づき追撃しようとしたときには、すでに間に合わなかった。
上軍の善戦と撤退
- さて公子嬰齊は上軍を攻めた。士会はあらかじめ事態を予測しており、いち早く情報を得て、すでに陣を結んで戦いつつ退いていた。
- 嬰齊は敖山の麓まで追ってきたが、突然砲声が大きく鳴り、一軍が出撃してきた。先頭の大将が車中から高らかに叫んだ。「鞏朔がここで待っておったぞ。」
- 嬰齊はいたく驚いた。鞏朔は嬰齊と二十余合渡り合ったが、それ以上の戦いを避け、士会を守って徐々に退いていった。
- 嬰齊はなお諦めず追撃した。前方でまた砲声が起こり、韓穿の兵が現れた。
- 偏将の蔡鳩居が車を出して迎え撃とうとしたところ、山あいでまた砲声が轟き、旗指物が雲のように連なり、大将の郤克がまた兵を率いて到着した。
- 嬰齊は伏兵が甚だ多いことを見て、晋の計略に陥ることを恐れ、鐘を鳴らして軍を退いた。
- 士会は将士を点検したが、一人も損傷していなかった。そこで敖山の険しさに依って、七つの小さな陣を連結し、北斗七星のように配置した。楚は攻め寄せることができなかった。楚兵がすべて退くまで留まり、それから旗を整えて帰った。これは後の話である。
荘王の追撃中止と戦後処理
- さて荀首の軍が河口に戻ったとき、林父の大軍はまだ渡り終えておらず、たいへんな混乱に陥っていた。喜ばしくも趙嬰齊が北岸に渡っており、空の舟を南へ送り迎えに来ていた。
- 時にすでに空は暗くなっていた。楚軍はすでに邲城に至っていた。伍参は急ぎ晋師を追撃するよう請うた。
- 荘王は言った。「楚は城濮の戦いに敗れて以来、社稷に恥をさらしてきたが、この一戦で前の恥をすすぐことができた。晋と楚は結局講和すべきものだ。何もこれ以上多く殺す必要があろうか。」
- そこで陣営を安んじる令を下した。晋軍は夜のうちに河を渡り、慌ただしく夜が明けるまで続いた。
- 史臣は、荀林父が敵情を見抜く知恵を持たず、将を御する才もなく、進むことも退くこともできぬまま、この敗北に至り、ついに中原の覇気をことごとく楚に帰せしめたことを論じ、痛ましいことだとした。
- 詩がある。(詩:軍を統べる元帥に地に足のついた統率がなく、どうして裨将が権を犯すことを許してしまったのか。舟の中で指を掬い集める惨さこそ痛ましく、たとえ黄河を渡り切っても恥に耐えられまい、という趣旨)
- 鄭の襄公は楚軍が勝利したと知り、自ら邲城まで軍を労いに行き、楚王を衡雍に迎えた。楚王は身分を越えて王宮に居座り、襄公は盛大な宴を設けて祝った。
- 潘党は晋兵の屍を集めて「京観」を築き、武功を後世に彰らかにしたいと願い出た。
- 荘王は言った。「晋には討つべき罪があったわけではない。寡人が幸いにして勝っただけのことだ。何の武功を称えることがあろうか。」
- 兵士に命じて至る所で遺骨を埋葬させ、文を作って河神を祭り、凱旋した。功を論じ賞を行い、伍参の謀を嘉して大夫に取り立てた。伍挙・伍奢・伍尚・伍員はその後裔である。
- 令尹の孫叔敖は嘆じて言った。「晋に勝った大功が、寵臣から出たとは、私は恥じ入って死にたいくらいだ。」そのまま鬱々として病を得た。
荀林父の助命と再起
- 話は二つに分かれる。さて荀林父は敗兵を率いて景公に会った。景公は林父を斬ろうとした。群臣は力を尽くして庇い言った。「林父は先朝からの大臣です。師を喪った罪はあるものの、みな先穀が故意に軍令に違背したためにこの敗北を招いたのです。主公はただ先穀を斬るだけで、後の戒めとするに十分でございます。昔、楚が得臣を殺したとき晋の文公は喜び、秦が孟明を用い続けたとき晋の襄公は懼れました。どうか主公は林父の罪をお赦しになり、後日の功を図らせてくださいませ。」
- 景公はその言葉に従い、先穀を斬り、林父を元の職に復させた。六卿に兵を治め将を練るよう命じ、いずれ復讐する日に備えさせた。これは周の定王十年のことである。
孫叔敖の遺言
- 定王十二年春三月、楚の令尹孫叔敖の病が篤くなり、その子孫安に言い残した。「私には遺言の上奏文が一通ある。死んだ後、私のために楚王に届けなさい。楚王がお前に官爵を封じようとしても、お前は受けてはならぬ。お前は凡庸な才であって、経世済民の器ではない。礼服と冠を汚してはならぬ。もし大きな邑を封じようとされたら、お前は必ず固辞せよ。辞退できなければ、寝丘を望むがよい。この地は痩せて貧しく、人が欲しがらぬ土地であるから、後世まで禄を延ばせるであろう。」
- 言い終えるとそのまま亡くなった。
- 孫安は遺言の上奏文を取って献上した。楚の荘王はこれを開いて読んだ。表には次のようにあった。
- 「臣は罪により廃された身でありながら、君王の御恵みにより相の位に引き上げていただきました。数年来、大きな功のないことを恥じ、重任に背いてまいりました。今、君王の御威光のおかげで窓の下で死を迎えられるのは、臣の幸いでございます。臣には一子しかおりませんが、不肖でございますので、官に就けて礼服と冠を汚させるには足りません。臣の従子である薳憑は、いくらか才能があり、一つの職を任せることができます。晋は代々の覇者と称される国であり、たまたま敗れることがあったとしても、軽んじてはなりません。民は久しく戦いに苦しんでおります。ただ兵を息め民を安んじることを上策となさいますよう。『人の将に死せんとするや、その言や善し』と申します。どうか王よ、これをお察しください。」
- 荘王は読み終えて嘆じて言った。「孫叔は死してもなお国を忘れなかった。寡人は不幸にも、天がわが良臣を奪ってしまわれたのだ。」
- ただちに車を駆り、その殮を見に赴き、棺を撫でて痛哭した。従行の者でみな涙を落とさぬ者はなかった。
- 翌日、公子嬰齊を令尹とした。薳憑を箴尹に召し、これが薳氏の始まりとなった。
- 荘王は孫安を工正にしようとしたが、安は遺命を守り、力を尽くして辞退し拝命せず、退いて田を耕した。
優孟の諷諫
- 荘王が寵愛する俳優、孟侏儒は、優孟とも呼ばれ、身の丈は五尺に満たず、平素は滑稽な言動で左右の者を楽しませていた。
- ある日、郊外に出たとき、孫安が薪を伐り、自ら背負って帰る姿を見た。優孟は迎えて問うた。「公子は何ゆえ自ら苦労して薪を背負っておられるのですか。」
- 孫安は言った。「父は相を数年務めましたが、一銭も私の懐に入れることなく、死後、家には余財がございません。私が薪を背負わずにいられましょうか。」
- 優孟は嘆じて言った。「公子、努めてください。王はいずれあなたを召されることでしょう。」
- そこで孫叔敖の衣冠や剣履を一そろい作らせ、その生前の言動を習い、三日間模倣して、一つとして似ていないところがなく、まるで叔敖が再生したかのようであった。
- ちょうど荘王が宮中で宴を催し、俳優たちを呼んで芝居をさせることになった。優孟はまず別の俳優に楚王を演じさせ、叔敖を思慕する様子を演じさせ、自分は叔敖に扮して登場した。
- 楚王役は一目見て大いに驚いて言った。「孫叔は無事であったか。寡人はそなたを慕うこと切であった。また戻って寡人を補佐してくれ。」
- 優孟は答えた。「臣は真の叔敖ではございません。たまたま似ているだけでございます。」
- 楚王役は言った。「寡人は叔敖を慕っても会うことができぬ。似た者に会うだけでも、寡人の思慕をいくらか慰めることができる。卿は辞退せず、すぐに相の位に就くがよい。」
- 優孟は答えた。「王が真に臣を用いてくださるなら、臣にとってこれ以上の願いはございません。ただ家には老妻がおり、世の情理によく通じております。帰って老妻と相談させていただき、それから御詔を承りたく存じます。」
- そこで舞台を退き、再び現れて言った。「臣は先ほど老妻に相談いたしましたところ、老妻は臣に就くべきではないと勧めました。」
- 楚王役は問うた。「なぜか。」
- 優孟は答えた。「老妻には臣を諫める村歌がございます。臣に歌わせてください。」そこで歌った。(歌:貪吏はなってはならぬのになれてしまい、廉吏はなってよいのになれない。貪吏がなってはならぬというのは、汚らわしく卑しいからであり、それでもなれてしまうのは、子孫が堅い車に乗り肥えた馬に鞭打てるからだ。廉吏がなってよいというのは、高潔だからであり、それでもなれないのは、子孫が単衣を着て食にも事欠くからだ。ご覧なさい、楚の令尹孫叔敖を。生前、私財を少しも蓄えず、ある朝身が没すると家は落ちぶれ、子孫は物乞いをして草むらに暮らしている。君よ、孫叔敖に学ぶな。君王も前の功労を思い出してはくれないのだから、という趣旨)
- 荘王は席上で優孟の問答が叔敖にそっくりであるのを見て、内心すでに悲痛の思いを抱いていたが、優孟の歌を聞き終えると、思わず涙をはらはらと流して言った。「孫叔の功を寡人は忘れておらぬ。」
- ただちに優孟に命じて孫安を召させた。孫安はぼろの衣とわらじで参り、荘王に拝謁した。
- 荘王は言った。「そなたはこれほど困窮しているのか。」
- 優孟が傍らから答えた。「困窮していなければ、前の令尹の賢明さは分かりますまい。」
- 荘王は言った。「孫安は職に就くことを望まぬのなら、万家の邑を封じよう。」
- 安は固く辞退した。荘王は言った。「寡人の意はすでに決まった。卿は辞退してはならぬ。」
- 孫安は奏上した。「君王がもし先臣のわずかな功をお思いくださるなら、臣に衣食を賜り、寝丘を封じていただければ、臣の願いは十分でございます。」
- 荘王は言った。「寝丘は痩せた悪土だ。卿はどんな利があってそこを望むのか。」
- 孫安は言った。「先臣の遺命がございますので、そこでなければ受けるわけにはまいりません。」
- 荘王はそこでこれに従った。後の人は寝丘が良い土地ではなく、誰も争って欲しがらぬために、ついに孫氏が代々守り続けることになったのだと言う。これぞ孫叔敖の先見の明であった。
- 史臣は優孟の事をもっぱら詠じた詩がある。詩に言う。(詩:清廉な官吏は子孫の貧しさなど計らずにいるが、身が死んだ後にその功績が主君によって讃えられ崇められた。侏儒がうまく諷諫できなかったならば、荘王がどうして先臣を思い出したであろうか、という趣旨)
鄭再攻略への布石
- さて晋の臣、荀林父は、孫叔敖が新たに没したと聞き、楚の兵はすぐには出せまいと考えた。そこで景公に出兵を願い出て鄭を討伐し、鄭の郊外を大いに掠め奪って引き上げた。
- 諸将は、このまま進んで鄭を包囲するよう願ったが、林父は言った。「包囲したところですぐに落とせるものではない。万一、楚の救援が急に到着すれば、それは自ら敵を招くようなものだ。しばらく鄭人を懼れさせ、自ら考えさせるにとどめておくのがよい。」
- 鄭の襄公は果たして大いに懼れ、使者を楚に遣わして相談し、さらにその弟の公子張を人質として差し出して公子去疾と交換し、去疾を鄭に帰国させて、ともに国政を治めさせようとした。
- 荘王は言った。「鄭にもし信義があれば、どうして人質など置く必要があろうか。」そこでみな解放して帰した。それから群臣を大いに集めて協議した。何を協議したのかは、次回の解き明かしをご覧あれ。
原文(底本)
話說晉景公即位三年,聞楚王親自伐鄭,謀欲教之。乃拜荀林父為中軍元帥,先穀副之;士會為上軍元帥,郤克副之;趙朔為下軍元帥,欒書副之。趙括趙嬰齊為中軍大夫,鞏朔韓穿為上軍大夫,荀首趙同為下軍大夫,韓厥為司馬。更有部將魏錡、趙旃、荀罃、逢伯、鮑癸等數十員,起兵車共六百乘,以夏六月自絳州進發。到黃河口,前哨探得鄭城被楚久困,待救不至,已出降於楚,楚兵亦將北歸矣。荀林父召諸將商議行止。士會曰:「救之不及,戰楚無名;不如班師,以俟再舉。」林父善之,遂命諸將班師。中軍一員上將,挺身出曰:「不可,不可!晉能伯諸侯者,以其能扶傾救難故也。今鄭待救不至,不得已而降楚,我若挫楚,鄭必歸晉。今棄鄭而逃楚,小國何恃之有?晉不復能伯諸侯矣!元帥必欲班師,小將情願自率本部前進。」荀林父視之,乃中軍副將先穀,字彘子。林父曰:「楚王親在軍中,兵強將廣,汝偏師獨濟,如以肉投餒虎,何益於事?」先穀咆哮大叫曰:「我若不往,使人謂堂堂晉國,沒一個敢戰之人,豈不可恥?此行雖死於陣前,猶不失志氣。」說罷,竟出營門,遇趙同趙括兄弟,告以:「元帥畏楚班師,我將獨濟。」同括曰:「大丈夫正當如此。我弟兄願率本部相從。」三人不秉將令,引軍濟河。荀首不見了趙同,軍士報道:「已隨先將軍去迎楚軍矣。」荀首大驚,告於司馬韓厥。韓厥特造中軍,來見荀林父,曰:「元帥不聞彘子之濟河乎?如遇楚師,必敗。子總中軍,而彘子喪師,咎專在子。將若之何?」林父悚然問計。韓厥曰:「事已至此,不如三軍俱進。如其捷,子有功矣。萬一不捷,六人均分其責,不猶愈於專罪乎?」林父下拜曰:「子言是也。」遂傳令三軍並濟,立營於敖鄗二山之間。先穀喜曰:「固知元帥不能違吾之言也。」 話分兩頭。且說鄭襄公探知晉兵眾盛,恐一旦戰勝,將討鄭從楚之罪,乃集群臣計議。大夫皇戍進曰:「臣請為君使於晉軍,勸之戰楚。晉勝則從晉,楚勝則從楚,擇強而事,何患焉?」鄭伯善其謀,遂使皇戍往晉軍中,致鄭伯之命曰:「寡君待上國之救,如望時雨,以社稷之將危,偷安於楚,聊以救亡,非敢背晉也。楚師勝鄭而驕,且久出疲敝,晉若擊之,敝邑願為後繼。」先穀曰:「敗楚服鄭,在此一舉矣。」欒書曰:「鄭人反覆,其言未可信也。」趙同趙括曰:「屬國助戰,此機不可失。彘子之言是也。」遂不由林父之命,同先穀竟與皇戍定戰楚之約。誰知鄭襄公又別遣使往楚軍中,亦勸楚王與晉交戰,是兩邊挑鬥,坐觀成敗的意思。孫叔敖慮晉兵之盛,言於楚王曰:「晉人無決戰之意,不如請成,請而不獲,然後交兵,則曲在晉矣。」莊王以為然。使蔡鳩居往晉請罷戰修和。荀林父喜曰:「此兩國之福也!」先穀對蔡鳩居罵曰:「汝奪我屬國,又以和局緩我,便是我元帥肯和,我先穀決不肯,務要殺得你片甲不回,方見我先穀手段!快去報與楚君,教他早早逃走,饒他性命!」蔡鳩居被罵一場,抱頭而竄。將出營門,又遇趙同趙括兄弟,以劍指之曰:「汝若再來,先教你吃我一劍!」鳩居出了晉營,又遇晉將趙旃,彎弓向之,說道:「你是我箭頭之肉,少不得早晚擒到!煩你傳話,只教你蠻王仔細!」鳩居回轉本寨,奏知莊王。莊王大怒,問眾將:「誰人敢去挑戰?」大將樂伯應聲而出曰:「臣願往!」樂伯乘單車,許伯為御,攝叔為車右,許伯驅車如風,逕逼晉壘。樂伯故意代御執轡,使許伯下車飾馬正鞅,以示閒暇。有遊兵十餘人過之,樂伯不慌不忙,一箭發去,射倒一人;攝叔跳下車,又隻手生擒一人,飛身上車,餘兵發聲喊都走。許伯仍為御,望本營而馳。晉軍知楚將挑戰殺人,分為三路追趕將來。鮑癸居中,左有逢寧,右有逢蓋。樂伯大喝曰:「吾左射馬,右射人,射錯了,就算我輸!」乃將彫弓挽滿,左一箭,右一箭,忙忙射去,有分有寸,不差一些。左邊連射倒三四匹馬,馬倒,車遂不能行動。右邊逢蓋面門亦中一箭,軍士被箭傷者甚多。左右二路追兵,俱不能進。只有鮑癸緊緊隨後,看看趕著。樂伯只存下一箭了。搭上弓靶,欲射鮑癸,想道:「我這箭若不中,必遭來將之手。」正轉念間,車馳馬驟之際,趕出一頭麋來,在樂伯面前經過。樂伯心下轉變,一箭望麋射去,剛剛的直貫麋心。乃使攝叔下車取麋,以獻鮑癸曰:「願充從者之膳。」鮑癸見樂伯矢無虛發,心中正在驚懼,因其獻麋,遂假意嘆曰:「楚將有禮,我不可犯也!」麾左右迴車。樂伯徐行而返。有詩為證: 單車挑戰騁豪雄,車似雷轟馬似龍。神箭將軍誰不怕?追軍縮首去如風。 晉將魏錡知鮑癸放走了樂伯,心中大怒曰:「楚來挑戰,晉國獨無一人敢出軍前,恐被楚人所笑也。小將亦願以單車,探楚之強弱。」趙旃曰:「小將願同魏將軍走遭。」林父曰:「楚來求和,然後挑戰。子若至楚軍,也將和議開談,方是答禮。」魏錡答曰:「小將便去請和。」趙旃先送魏錡登車,謂魏錡曰:「將軍報鳩居之使,我報樂伯,各任其事可也。」 卻說上軍元帥士會,聞趙魏二將討差往楚,慌忙來見荀林父,欲止其行。比到中軍,二將已去矣。士會私謂林父曰:「魏錡趙旃,自恃先世之功,不得重用,每懷怨望之心。況血氣方剛,不知進退,此行必觸楚怒。倘楚兵猝然乘我,何以禦之?」時副將郤克亦來言:「楚意難測,不可不備。」先穀大叫曰:「旦晚廝殺,何以備為!」荀林父不能決。士會退謂郤克曰:「荀伯木偶耳!我等宜自為計。」乃使郤克約會上軍大夫鞏朔韓穿,各率本部兵,分作三處,伏於敖山之前。中軍大夫趙嬰齊,亦慮晉師之敗,預遣人具舟於黃河之口。 話分兩頭。再說魏錡一心忌荀林父為將,欲敗其名,在林父面前只說請和,到楚軍中,竟自請戰而還。楚將潘黨知蔡鳩居出使晉營,受了晉將辱罵,今日魏錡到此,正好報仇。忙趨入中軍,魏錡已自出營去了,乃策馬追之。魏錡行及大澤,見追將甚緊,方欲對敵;忽見澤中有麋六頭,因想起楚將戰麋之事,彎起弓來,也射倒一麋,使御者獻於潘黨曰:「前承樂將軍賜鮮,敬以相報。」潘黨笑曰:「彼欲我描舊樣耳!我若追之,顯得我楚人無禮。」亦命御者迴車而返。魏錡還營,詭說:「楚王不准講和,定要交鋒,決一勝負。」荀林父問:「趙旃何在?」魏錡曰:「我先行,彼在後,未曾相值。」林父曰:「楚既不准和,趙將軍必然吃虧。」乃使荀罃率軘車二十乘,步卒千五百人,往迎趙旃。 卻說趙旃夜至楚軍,布席於軍門之外,車中取酒,坐而飲之。命隨從二十餘人,效楚語,四下巡綽,得其軍號,混入營中。有兵士覺其偽,盤詰之;其人拔刀傷兵士。營中亂嚷起來,舉火搜賊,被獲一十餘人。其餘逃出,見趙旃尚安坐席上,扶之起,登車,覓御人,已沒於楚軍矣。天色漸明,趙旃親自執轡鞭馬,馬餓不能馳。楚莊王聞營中有賊遁去,自駕戎輅,引兵追趕,其行甚速。趙旃恐為所及,棄其車,奔入萬松林內,為楚將屈蕩所見,亦下車逐之。趙旃將甲裳掛於小小松樹之上,輕身走脫。屈蕩取甲裳並車馬,以獻莊王。方欲回轅,望見單車風馳而至,視之,乃潘黨也。黨指北向車塵,謂楚王曰:「晉師大至矣!」這車塵卻是荀林父遣軘車,迎接趙旃者。潘黨遠遠望見,誤認以為大軍,未免輕事重報,嚇得莊王面如土色。忽聽得南方鼓角喧天,為首一員大臣,領著一隊車馬飛到。這員大臣是誰?乃是令尹孫叔敖。莊王心下稍安,問:「相國何以知晉軍之至,而來救寡人?」孫叔敖對曰:「臣不知也。但恐君王輕進,誤入晉軍,臣先來救駕,隨後三軍俱至矣。」莊王北向再看時,見塵頭不高,曰:「非大軍也。」孫叔敖對曰:「《兵法》有云:『寧可我迫人,莫使人迫我。』諸將既已到齊,吾王可傳令,只顧殺向前去。若挫其中軍,餘二軍皆不能存紮矣。」 莊王果然傳令:使公子嬰齊同副將蔡鳩居,以左軍攻晉上軍;公子側同副將工尹齊,以右軍攻晉下軍;自引中軍兩廣之眾,直擣荀林父大營。莊王親自援桴擊鼓。眾軍一齊擂鼓,鼓聲如雷,車馳馬驟,步卒隨著車馬,飛奔前行。晉軍全沒准備。荀林父聞鼓聲,纔欲探聽,楚軍漫山遍野,已佈滿於營外,真是出其不意了。林父倉忙無計,傳令並力混戰。楚兵人人耀武,個個揚威,分明似海嘯山崩,天摧地塌。晉兵如久夢乍回,大醉方醒,還不知東西南北。「沒心人遇有心人」,怎生抵敵得過?一時魚奔鳥散,被楚兵砍瓜切菜,亂殺一回,殺得四分五裂,七零八碎。荀罃乘著軘車,迎不著趙旃,卻撞著楚將熊負羈,兩下交鋒。楚兵大至,寡不敵眾,步卒奔散,荀罃所乘左驂,中箭先倒,遂為熊負羈所擒。 再說晉將逢伯,引其二子逢寧逢蓋,共載一小車,正在逃奔。恰好趙旃脫身走到,兩趾俱裂,看見前面有乘車者,大叫:「車中何人?望乞挈帶!」逢伯認得是趙旃聲音,吩咐二子:「速速馳去,勿得反顧。」二子不解其父之意,回頭看之,趙旃即呼曰:「逢君可載我!」二子謂父曰:「趙叟在後相呼。」逢伯大怒曰:「汝既見趙叟,合當讓載也!」叱二子下車,以轡授趙旃,使登車同載而去。逢寧逢蓋失車,遂死於亂軍之中。荀林父同韓厥,從後營登車,引著敗殘軍卒,取路山右,沿河而走,棄下車馬器仗無算。先穀自後趕上,額中一箭,鮮血淋漓,扯戰袍裹之。林父指曰:「敢戰者亦如是乎?」行至河口,趙括亦到,訴稱其兄趙嬰齊,私下預備船隻,先自濟河:「不通我每得知,是何道理?」林父曰:「死生之際,何暇相聞也?」趙括恨恨不已,自此與嬰齊有隙。林父曰:「我兵不能復戰矣!目前之計,濟河為急。」乃命先穀往河下招集船隻。那船俱四散安泊,一時不能取齊。正擾攘之際,沿河無數人馬,紛紛來到。林父視之,乃是下軍正副將趙朔欒書,被楚將公子側襲敗,驅率殘兵,亦取此路而來。兩軍一齊在岸,那一個不要渡河的?船數一發少了。南向一望,塵頭又起,林父恐楚兵乘勝窮追,乃擊鼓出令曰:「先濟河者有賞!」兩軍奪舟,自相爭殺。及至船上人滿了,後來者攀附不絕,連船覆水,又壞了三十餘艘。先穀在舟中喝令軍士:「但在攀舷扯槳的,用刀亂砍其手。」各船俱效之。手指砍落舟中,如飛花片片,數掬不盡,皆投河中。岸上哭聲震響,山谷俱應,天昏地慘,日色無光。史臣有詩云: 舟翻巨浪連帆倒,人逐洪波帶血流。可憐數萬山西卒,半喪黃河作水囚! 後面塵頭又起,乃是荀首、趙同、魏錡、逢伯、鮑癸……一班敗將,陸續逃至。荀首已登舟,不見其子荀罃,使人於岸呼之。有小軍看見荀罃被楚所獲,報知荀首。荀首曰:「吾子既失,吾不可以空返。」乃重復上岸,整車欲行。荀林父阻之曰:「罃已陷楚,往亦無益。」荀首曰:「得他人之子,猶可換回吾子也。」魏錡素與荀罃相厚,亦願同行。荀首甚喜。聚起荀氏家兵,尚有數百人。更兼他平昔恤民愛士,大得軍心,故下軍之眾,在岸者無不樂從,即已在舟中者,聞說下軍荀大夫欲入楚軍尋小將軍,亦皆上岸相從,願效死力。此時一股銳氣,比著全軍初下寨時,反覺強旺。荀首在晉,亦算是數一數二的射手,多帶良箭,撞入楚軍。遇著老將連尹襄老,正在掠取遺車棄仗,不意晉兵猝至,不作准備,被荀首一箭射去,恰穿其頰,倒於車上。公子穀臣看見襄老中箭,馳車來救。魏錡就迎住廝殺。荀首從旁覷定,又復一箭,中其右腕。穀臣負痛拔箭,被魏錡乘勢將穀臣活捉過來,並載襄老之屍。荀首曰:「有此二物,可以贖吾子矣!楚師強甚,不可當也。」乃策馬急馳。比及楚軍知覺,欲追之,已無及矣。 且說公子嬰齊來攻上軍。士會預料有事,探信最早,先已結陣,且戰且走。嬰齊追及敖山之下,忽聞砲聲大震,一軍殺出,當頭一員大將在車中高叫:「鞏朔在此,等候多時矣!」嬰齊倒吃了一驚。鞏朔接住嬰齊廝殺,約鬥二十餘合,不敢戀戰,保著士會,徐徐而走。嬰齊不捨,再復追來,前面砲聲又起,韓穿起兵來到。偏將蔡鳩居出車迎敵,方欲交鋒,山凹裏砲聲又震,旗旆如雲,大將郤克引兵又至。嬰齊見埋伏甚眾,恐墮晉計,鳴金退師。士會點查將士,並不曾傷折一個人,遂依敖山之險,結成七個小寨,連絡如七星,楚不敢逼。直到楚兵盡退,方纔整旆而還。此是後話。 再說荀首兵轉河口,林父大兵尚未濟盡,必甚驚皇。卻喜得趙嬰齊渡過北岸,打發空船南來接應。時天已昏黑,楚軍已至邲城。伍參請速追晉師。莊王曰:「楚自城濮失利,貽羞社稷,此一戰可雪前恥矣。晉楚終當講和,何必多殺?」乃下令安營。晉軍乘夜濟河,紛紛擾擾,直亂到天明方止。史臣論荀林父智不能料敵,才不能御將,不進不退,以至此敗,遂使中原伯氣,盡歸於楚,豈不傷哉!有詩云: 閫外元戎無地天,如何裨將敢撓權?舟中掬指真堪痛,縱渡黃河也靦然! 鄭襄公知楚師得勝,親自至邲城勞軍。迎楚王至於衡雍,僭居王宮,大設筵席慶賀。潘黨請收晉屍,築為「京觀」,以彰武功於萬世。莊王曰:「晉非有罪可討,寡人幸而勝之,何武功之足稱耶?」命軍士隨在掩埋遺骨,為文祭祀河神,奏凱而還。論功行賞,嘉伍參之謀,用為大夫。伍舉、伍奢、伍尚、伍員即其後也。令尹孫叔敖嘆曰:「勝晉大功,出自嬖人,吾當愧死矣!」遂鬱鬱成疾。 話分兩頭。卻說荀林父引敗兵還見景公,景公欲斬林父。群臣力保曰:「林父先朝大臣,雖有喪師之罪,皆是先穀故違軍令,所以致敗。主公但斬先穀,以戒將來足矣。昔楚殺得臣而文公喜,秦留孟明而襄公懼。望主公赦林父之罪,使圖後效。」景公從其言,遂斬先穀,復林父原職。命六卿治兵練將,為異日報仇之舉。此周定王十年事也。 定王十二年春三月,楚令尹孫叔敖病篤,囑其子孫安曰:「吾有遺表一通,死後為我達於楚王。楚王若封汝官爵,汝不可受。汝碌碌庸才,非經濟之具,不可濫廁冠裳也。若封汝以大邑,汝當固辭。辭之不得,則可以寢邱為請。此地瘠薄,非人所欲,庶幾可延後世之祿耳。」言畢遂卒。孫安取遺表呈上,楚莊王啟而讀之,表曰: 臣以罪廢之餘,蒙君王拔之相位,數年以來,愧乏大功,有負重任。今賴君王之靈,獲死牖下,臣之幸矣!臣止一子,不肖,不足以玷冠裳。臣之從子薳憑,頗有才能,可任一職。晉號世伯,雖偶敗績,不可輕視。民苦戰鬥已久,惟息兵安民為上。「人之將死,其言也善。」願王察之! 莊王讀罷,嘆曰:「孫叔死不忘國,寡人無福,天奪我良臣也!」即命駕往視其殮,撫棺痛哭,從行者莫不垂淚。次日,以公子嬰齊為令尹。召薳憑為箴尹,是為薳氏。莊王欲以孫安為工正,安守遺命,力辭不拜,退耕於野。 莊王所寵優人孟侏儒,謂之優孟,身不滿五尺,平日以滑稽調笑,取歡左右。一日出郊,見孫安砍下柴薪,自負而歸。優孟迎而問曰:「公子何自勞苦負薪?」孫安曰:「父為相數年,一錢不入私門,死後家無餘財,吾安得不負薪乎?」優孟嘆曰:「公子勉之,王行且召子矣!」乃制孫叔敖衣冠劍履一具,並習其生前言動,摹擬三日,無一不肖,宛如叔敖之再生也。值莊王宴於宮中,召群優為戲。優孟先使他優扮為楚王,為思慕叔敖之狀,自己扮叔敖登場。楚王一見,大驚曰:「孫叔無恙乎?寡人思卿至切,可仍來輔相寡人也。」優孟對曰:「臣非真叔敖,偶似之耳。」楚王曰:「寡人思叔敖不得見,見似叔敖者,亦足少慰寡人之思,卿勿辭,可即就相位。」優孟對曰:「王果用臣,於臣甚願。但家有老妻,頗能通達世情,容歸與老妻商議,方敢奉詔。」乃下場,復上曰:「臣適與老妻議之,老妻勸臣勿就。」楚王問曰:「何故?」優孟對曰:「老妻有村歌勸臣,臣請歌之!」遂歌曰: 貪吏不可為而可為,廉吏可為而不可為。貪吏不可為者,污且卑;而可為者,子孫乘堅而策肥。廉吏可為者,高且潔;而不可為者,子孫衣單而食缺。君不見楚之令尹孫叔敖,生前私殖無分毫,一朝身沒家凌替,子孫丐食棲蓬蒿。勸君勿學孫叔敖,君王不念前功勞! 莊王在席上見優孟問答,宛似叔敖,心中已是悽然;及聞優孟歌畢,不覺潸然淚下曰:「孫叔之功,寡人不敢忘也!」即命優孟往召孫安。孫安敝衣草屨而至,拜見莊王。莊王曰:「子窮困至此乎?」優孟從旁答曰:「不窮困,不見前令尹之賢。」莊王曰:「孫安不願就職,當封以萬家之邑。」安固辭。莊王曰:「寡人主意已定,卿不可卻。」孫安奏曰:「君王倘念先臣尺寸之勞,給臣衣食,願得封寢邱,臣願足矣。」莊王曰:「寢邱瘠惡之土,卿何利焉?」孫安曰:「先臣有遺命,非此不敢受也。」莊王乃從之。後人以寢邱非善地,無人爭奪,遂為孫氏世守。此乃孫叔敖先見之明。史臣有詩單道優孟之事。詩曰: 清官遑計子孫貧,身死褒崇賴主君;不是侏儒能諷諫,莊王安肯念先臣? 卻說晉臣荀林父,聞孫叔敖新故,知楚兵不能驟出。乃請師伐鄭,大掠鄭郊,揚兵而還。諸將請遂圍鄭,林父曰:「圍之未可遽克,萬一楚救忽至,是求敵也,姑使鄭人懼而自謀耳。」鄭襄公果大懼,遣使謀之於楚,且以其弟公子張,換公子去疾回鄭,共理國事。莊王曰:「鄭苟有信,豈在質乎?」乃悉遣之,因大集群臣計議。不知所議何事,且看下回分解。
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