東周列國志第八十回 夫差、諫めに背いて越を釈す/勾践、力を尽くして呉に仕える (夫差違諫釋越  勾踐竭力事吳)

越王句踐、呉への出立準備

  • さて越の大夫、文種は、呉王夫差が和議を許したことを受けて越王に復命し、こう言った。「呉王はすでに兵を引き上げられました。大夫の王孫雄を遣わされ、私に同行させ、出発を急かしております。太宰は江上に兵を留め、もっぱら我が王が江を渡って来られるのをお待ちしております。」
  • 越王句踐は思わず両目から涙を流した。
  • 文種は言った。「五月の期限が迫っております。王は速やかにお帰りになり、国事を整えられるべきです。無益に悲しんでいる場合ではありません。」
  • 越王はそこで涙を収めた。
  • 越の都に帰ると、市井は元のままであったが、壮丁の姿はまばらで、大いに恥じ入る思いであった。
  • 王孫雄を宿舎に留め、庫の宝物をまとめて車に積み込み、さらに国中の女子三百三十人を選び出し、三百人を呉王に、三十人を太宰に送ることとした。まだ出発の日は決まっていなかったが、王孫雄はしきりに催促した。
  • 句踐は群臣に涙ながらに言った。「孤は先人の遺業を受け継ぎ、日々慎み恐れて怠ることがなかった。今、夫椒の一敗によって、国は亡び家は破れ、千里の彼方で捕虜となる身となった。この旅は行く日はあっても帰る日はないだろう!」
  • 群臣は皆涙を拭った。
  • 文種は進み出て言った。「昔、湯は夏台に囚われ、文王は羑里に繋がれましたが、一挙して王となりました。斉桓公は莒に、晋文公は翟に亡命しましたが、一挙して覇者となりました。艱苦の境地は、天が王や覇者となる道を開くためのものです。王がよく天意を承け止められれば、おのずと興る時が来ましょう。何を過度に悲しみ、自らの志を損なう必要がありましょうか。」
  • 句踐はその日のうちに宗廟に祭祀を行い、王孫雄が一日先に出発し、句踐と夫人はその後に続いて進発した。群臣はみな浙江のほとりまで見送った。
  • 范蠡は固陵に舟を用意し、越王を迎えて水辺で送別の礼を行った。文種は王の前で杯を挙げ、こう祝った。(詩:皇天よ助けたまえ、沈んでいたものはやがて再び揚がる、禍は徳の根となり、憂いは福の礎となる。人を威圧する者は滅び、服従する者は栄える。王がしばらく淹滞されようとも、その後に禍はない。君臣が生き別れるこの様は、天帝の御心を動かすほど。多くの家臣が悲しみに沈み、心を痛めない者はない!臣、脯を薦め、酒二杯を献じたいという趣旨)
  • 句踐は天を仰いで嘆息し、杯を挙げて涙を垂らし、黙って何も語らなかった。
  • 范蠡が進み出て言った。「臣が聞くところによれば『居所が幽閉されなければ志は広がらず、身が愁いを知らなければ思いは遠くまで及ばない』と申します。古の聖賢はみな困厄の難に遭い、赦されぬほどの恥を蒙りました。どうして君王お一人だけがそうであるはずがありましょうか。」
  • 句踐は言った。「昔、堯は舜・禹に任せて天下を治めさせ、洪水があっても民の害にはならなかった。寡人は今まさに越を離れて呉に入り、国を諸大夫に委ねる。諸大夫は何をもって寡人の望みに応えてくれるだろうか。」
  • 范蠡は同僚たちに言った。「私が聞くところによれば『主君が憂えば臣は辱められ、主君が辱められれば臣は死す』と申します。今、主上には国を去る憂いがあり、呉に臣従する辱めがあります。我ら浙東の士に、豪傑が一人二人おらぬはずがありましょうか。主上と憂いと辱めを分かち合う者がおらぬはずがありましょうか。」
  • そこで諸大夫は声を揃えて言った。「誰が臣下でない者がおりましょうか。ただ王の命に従うのみです!」
  • 句踐は言った。「諸大夫が寡人を見捨てないのであれば、それぞれの志を述べてほしい。誰が難に従い、誰が国を守るか。」
  • 文種は言った。「四境の内、民のことについては、蠡は私に及びません。しかし君のお側にあって機に応じ変に対応することは、私は蠡に及びません。」
  • 范蠡は言った。「文種は自らのことをよく審らかにしております。主公が国事を彼に委ねられれば、耕作と戦の備えを十分に整え、民を親しみ睦ませることができましょう。危うい主君を輔け、恥辱を忍び、赴いては必ず戻り、君と共に仇を報いる役目は、臣があえて辞退いたしません。」
  • そこで諸大夫が次々と自らの志を述べた。太宰、苦成は言った。「君の令を発し、君の徳を明らかにし、煩雑なことを統べ処理し、民に分限をわきまえさせる、これが臣の役目です。」
  • 行人、曳庸は言った。「諸侯に使者として通じ、紛争を解き疑いを解き、命を辱めず出て行き、咎めを受けず入って来る、これが臣の役目です。」
  • 司直、皓進は言った。「君の非を臣として諫め、過ちを挙げ疑いを決し、真っ直ぐな心で撓まず、親戚にすら媚びない、これが臣の役目です。」
  • 司馬、諸稽郢は言った。「敵を望んで陣を敷き、矢を飛ばし兵を挙げ、進むことを貪って退かず、血を滂々と流す、これが臣の役目です。」
  • 司農、皋如は言った。「自ら民を撫で、死者を弔い病者を見舞い、食は二味を重ねず、新旧の蓄えを備える、これが臣の役目です。」
  • 太史、計倪は言った。「天を仰ぎ地を察し、暦と陰陽を記し、福が現れれば吉と知り、妖しき兆しが出れば凶と知る、これが臣の役目です。」
  • 句踐は言った。「孤はたとえ北国に入り、呉の窮した虜となろうとも、諸大夫が徳と術を懐き、それぞれ得意とするところを発揮して社稷を保ってくれるのなら、孤に何の憂いがあろうか!」
  • そこで諸大夫を留めて国を守らせ、独り范蠡だけを連れて出発することとした。

江口の別れと越夫人の怨歌

  • 君臣は江口で別れ、涙を流さぬ者はいなかった。
  • 句踐は天を仰いで嘆じた。「死は人の畏れるところであるが、孤は死について聞いても、胸中まったく怯えることがない。」そのまま船に乗り込み、まっすぐ去っていった。
  • 見送る者たちはみな江岸に泣き伏し、越王は最後まで振り返ることがなかった。
  • 詩がある。(詩:斜陽の中、山の外に一帆が開き、風は春の波を巻いて地を動かして戻る、今日、一樽の酒を沙のほとりで交わして別れるが、いつまた渡り来て相見えるだろうかという趣旨)
  • 越の夫人は船縁に手を掛けて泣いていたが、烏や鵲が江の渚で蝦をついばみ、飛び去ってはまた戻ってくるのを見て、その悠々自適な様子に感じ入り、泣きながら歌を詠んだ。(詩:飛ぶ鳥よ、烏鳶よ、玄虚を凌いで翩々と舞う、洲渚に集っては悠々とし、健やかな翼を奮って雲間に舞い上がる。素蝦をついばみ水を飲み、その本性のままに往き来する。妾は罪もないのに大地に背き、何の咎があって天から譴められるのか。風は飄々と西へ吹く、再び戻れるのが何年先のことか、知りようもない。心は輟々として割かれるようで、涙は泫々として双つの目から垂れ落ちるという趣旨)
  • 越王は夫人の恨みの歌を聞いて心中大いに嘆いたが、無理に笑顔を作って夫人の心を慰めて言った。「孤の翼の羽はすでに備わった。高く飛ぶ日が必ず来るだろう、何を憂えることがあろうか!」

越王夫婦、呉に入り石室に幽閉される

  • 越王はすでに呉の境に入り、まず范蠡を呉山の太宰伯嚭のもとに遣わし、あらためて金や絹、女子を献上させた。
  • 嚭は「文大夫はなぜ来られないのか」と尋ねた。蠡は「我が主のために国を守っており、共には参れませんでした」と答えた。
  • 嚭はそこで范蠡と共に越王のもとへ来た。越王は嚭の庇護の恩に深く感謝した。
  • 嚭は一手にこの件を引き受け、帰国できるよう取りはからうと請け合った。越王の心は少し落ち着いた。
  • 伯嚭は軍を率いて越王を護送し、呉の都に至り、呉王に引き合わせた。
  • 句踐は上半身裸になって階下に伏し、夫人もこれに従った。
  • 范蠡は宝物と女子の目録を差し出して献上した。
  • 越王は再拝稽首して言った。「東海の臣、句踐は身のほど知らずにも、辺境で罪を犯しました。大王はその深い罪をお赦しくださり、ちりとりと箒を執って仕えさせていただけますこと、まことに厚恩を蒙り、束の間の命を保つことができ、感激に堪えません!句踐、謹んで額を地につけて拝礼いたします。」
  • 夫差は言った。「寡人がもし先君の仇を思うならば、そなたは今日、生きる道理はない!」
  • 句踐は再びぬかずいて言った。「臣、実に死に値します。ただ大王の憐れみを乞うのみです!」
  • そのとき子胥は傍らにいて、目は燃えるような火のごとく、声は雷霆のようであった。進み出て言った。「そもそも青雲の上を飛ぶ鳥ですら、なお弓を引いてこれを射ようとするものです。まして庭先や軒下に集まった鳥ならなおさらです。句踐は人となり策略に長けて腹黒く、今、釜の中の魚のようになり、命は料理人の手にあります。それゆえ諂いの言葉と柔らかな顔つきで、刑罰を免れようとしているのです。ひとたび志を得れば、虎を山に放ち、鯨を海に放つも同然、二度と制することはできません!」
  • 夫差は言った。「孤は、降伏した者や服従した者を誅すれば、禍が三世に及ぶと聞いている。孤は越を愛して誅さないわけではない。天に咎められることを恐れているのだ。」
  • 太宰嚭は言った。「子胥は一時の計略には明るいが、国を安んずる道を知らない。我が王の言葉こそ、まことに仁者の言葉です!」
  • 子胥は呉王が伯嚭の佞言を信じ、自分の諫言を用いないのを見て、憤然として退いた。
  • 夫差は越の貢献の品を受け取り、王孫雄に命じて闔閭の墓のそばに石室を築かせ、句踐夫婦をその中に入れさせ、衣冠を剥奪し、髪を乱し垢に汚れた姿で、馬の世話をさせた。
  • 伯嚭はひそかに食物を届けたので、飢えることはかろうじて免れた。
  • 呉王が車で外出するたびに、句踐は馬鞭を手に持ち車の前を歩いて従った。呉の人々はみな指さして「これが越王だ!」と言った。句踐はうつむくばかりであった。
  • 詩がある。(詩:ああ嘆かわしいことよ、英雄がこれほどの不運に見舞われるとは、生涯の意気もすっかり消え失せた、魂は故国を離れて帰ることも稀であり、恨みは長江に満ちて涙もいっそう多くなるという趣旨)

范蠡、夫差の誘いを拒む/石室の労役

  • 句踐は石室で二か月を過ごした。范蠡は朝夕そばに仕え、片時も離れなかった。
  • ある日、夫差は句踐を召し出した。句踐は前に跪き伏し、范蠡はその後ろに立った。
  • 夫差は范蠡に言った。「寡人は『賢い女は滅びゆく家に嫁がず、名賢は絶えゆく国に仕えぬ』と聞いている。今、句踐は無道にして国はすでに滅びようとしている。そなたら君臣は共に奴僕となり、一室に囚われている。何と卑しいことか。寡人はそなたの罪を赦したいと思う。そなたが過ちを改めて自ら新たになり、越を捨てて呉に帰順するなら、寡人は必ず重く用いよう。憂患を去り富貴を得る、そなたの考えはどうか。」
  • そのとき越王は地に伏して涙を流し、ただ范蠡が呉に従うことだけを恐れていた。
  • すると范蠡は頭を地につけて答えた。「臣が聞くところによれば『亡国の臣は政を語らず、敗軍の将は勇を語らず』と申します。臣は越にあって忠を尽くして信を得ることができず、越王を輔けて善に導くこともできず、大王に罪を得ました。幸いに大王が即座に誅されなかったおかげで、君臣共に相保つことができ、内では掃除をお勤めし、外では走り使いを勤めております。臣はそれで十分満足しております。あえて富貴など望みましょうか。」
  • 夫差は言った。「そなたはその志を変えぬのだな。ならばそのまま石室に帰るがよい。」
  • 蠡は「謹んで君命に従います」と言った。
  • 夫差は立ち上がり、宮中に入った。句踐と范蠡は石室へと急いで戻った。
  • 越王は前掛けをつけ、身分の低い者がかぶる粗末な頭巾をかぶり、秣を刻んで馬を養った。夫人は縁飾りのない裳を着け、左前に合わせた粗末な短衣を纏い、水を汲み糞を除き掃除を行った。
  • 范蠡は薪を拾い炊事をし、顔つきはやつれていった。
  • 夫差は時々人を遣わして様子を窺わせたが、その君臣が力を尽くして働き、少しも怨みの色を見せず、夜通し嘆きの声も上げないのを見て、故郷を思う志などないものと考え、放っておくことにした。

姑蘇台からの眺めと恩赦の内報、范蠡の占い

  • ある日、夫差は姑蘇台に登り、越王と夫人が端座して馬糞のそばにいるのを望み見た。范蠡は鞭を手に左に立っていた。君臣の礼、夫婦の礼儀ともに整っていた。
  • 夫差は太宰嚭を顧みて言った。「あの越王は小国の君に過ぎず、范蠡もただの一介の士に過ぎない。窮した境地にありながら、君臣の礼を失わない。寡人は心中大いに敬服する。」
  • 伯嚭は答えた。「敬服に値するだけでなく、憐れむべきでもあります。」
  • 夫差は言った。「まことに太宰の言うとおりだ。寡人は目に見るに忍びない。もし彼らが過ちを悔い改めれば、赦してもよいだろうか。」
  • 嚭は答えた。「臣が聞くところによれば『徳には必ず報いがある』と申します。大王が聖王の心をもって、孤独で窮した者を哀れみ、越に恩を加えられれば、越がどうして厚くお報いしないことがありましょうか。願わくば大王、決意なさいますように。」
  • 夫差は言った。「太史に命じて吉日を選ばせ、越王を赦して帰国させよう。」
  • 伯嚭はひそかに家人を遣わし、五更の頃に石室に忍ばせ、この喜びの知らせを句踐に伝えさせた。
  • 句踐は大いに喜び、范蠡に告げた。蠡は言った。「王のために占ってみます。今日は戊寅です。卯の時にこの知らせを聞いたということですが、戊は囚われの日であり、卯はさらに戊を克します。その卦辞には『天網は四方に張りめぐらされ、万物すべて傷つく、めでたきことがかえって禍となる』とあります。喜びの知らせがあったとはいえ、喜ぶには足りません。」
  • 句踐はこれを聞き、喜びが憂いに転じた。

子胥の再度の諫言と危機回避

  • さて子胥は呉王が越王を赦そうとしていると聞き、急いで参上して言った。「昔、桀は湯を囚えながら誅さず、紂は文王を囚えながら殺しませんでした。天の道は還り反り、禍はやがて福に転じます。それゆえ桀は湯に放逐され、商は周に滅ぼされたのです。今、大王はすでに越君を囚えながら誅を行っておられません。まことに夏・殷の患いが至ることを恐れます。」
  • 夫差は子胥の言葉によって、再び越王を殺す意を持ち、人を遣わして句踐を召した。
  • 伯嚭はまた先んじて句踐に知らせた。句踐は大いに驚き、また范蠡に告げた。
  • 蠡は言った。「王よ、恐れることはありません。呉王が王を囚えて既に三年になります。呉王は三年のあいだ王を殺すに忍びなかったのです。その者が、たった一日で忍んで手にかけられましょうか。行かれても必ずご無事です。」
  • 句踐は言った。「寡人が死なずに堪え忍んでいられるのは、ひとえに大夫の策があってのことだ。」
  • そこで城に入り呉王に会いに行ったが、三日待たされても、呉王はまったく朝廷に出て来なかった。
  • 伯嚭が宮中から出て来て、呉王の命によって、句踐に石室へ戻るよう伝えた。
  • 句踐がその理由を怪しんで問うと、伯嚭は言った。「王は子胥の言葉に惑わされ、誅戮を加えようとされたので、それであなたを召されたのです。ちょうど王が寒気の病にかかって起き上がれなくなり、私が宮中に入って病をお見舞いした際、こう申し上げました。『災いを禳うには福を招く祭事をなすべきです。今、越王は宮城の門前に腹ばいになって誅を待っており、その怨みと苦しみの気が天を犯しております。王はご自愛なさり、しばらく石室にお戻しになり、病が癒えてから改めてお考えになるべきです』と。王は私の言葉をお聞きになり、それであなたを城外に出されたのです。」
  • 句踐は感謝してやまなかった。
  • 句踐が石室に居ることまた三か月、呉王の病がなお癒えないと聞き、范蠡に吉凶を占わせた。

句踐、夫差の糞を嘗めて信を得る

  • 蠡は卦を立て終わって答えた。「呉王は死にません。己巳の日に病は軽くなり、壬申の日には必ず全快します。願わくば大王、病気見舞いを願い出て、もし謁見が叶えば、その糞を求めて嘗め、顔色を観察し、再拝して快気の祝いを述べ、病が癒える時期を言い当ててください。もし予言どおりに癒えれば、必ず心から大王に感謝し、赦しも望めましょう。」
  • 句踐は涙を垂らして言った。「孤は不肖の身とはいえ、かつては君主の位にあった。どうして汚れを含んで恥辱を忍び、人の糞尿を嘗めることができようか。」
  • 蠡は答えた。「昔、紂は西伯(文王)を羑里に囚え、その子、伯邑考を殺してその肉を煮て食べさせましたが、西伯は痛みを忍んで我が子の肉を食べました。大事を成そうとする者は、細かい行いにこだわりません。呉王には婦人の仁はあっても一人前の男の決断力はありません。すでに越を赦そうとしながら、突然また心変わりしています。このようにしなければ、どうしてその憐れみを得られましょうか。」
  • 句踐はその日のうちに太宰の府へ行き、伯嚭に会って言った。「臣下の道として、主が病めば臣は憂えるものです。今、主公が病に苦しんでおられ癒えないと聞き、句踐は心が孤独となり望みを失い、寝食も安らかではありません。願わくば太宰に従って病気見舞いをし、臣子としての情を伸ばしたく存じます。」
  • 嚭は言った。「あなたにそのような美しい心があるなら、あえて伝えないことがありましょうか。」
  • 伯嚭は宮中に入り呉王に謁見し、句踐が思いを寄せていることを詳しく述べ、病気見舞いを願っている旨を伝えた。
  • 夫差は病の重い中にあったが、その気持ちを憐れんでこれを許した。
  • 嚭は句踐を寝室に案内した。夫差は強いて目を開いて言った。「句踐もまた寡人に会いに来たのか。」
  • 句踐はぬかずいて奏上した。「囚われの臣は、龍体の調子が優れぬと聞き、肝肺を摧かれるかのような思いで、一目お顔色を拝したく思いながらも、その術がございませんでした。……」言い終わらぬうちに、夫差は腹が張り便意を催し、人に外へ促した。
  • 句踐は言った。「臣は東海におりましたとき、かつて医師にお仕えし、人の排泄物を見てその病の軽重を知る術を心得ております。」そこで戸口に恭しく立った。
  • 侍者が便桶を寝台近くに寄せ、夫差を助けて用を足させ、外に出そうとした。
  • 句踐は桶の蓋を開け、手でその糞を取り、跪いてこれを嘗めた。左右の者はみな鼻をつまんだ。
  • 句踐は再び入ってぬかずいて言った。「囚われの臣、再拝して大王にお慶び申し上げます。王の病は己巳の日に癒え始め、三月に入った壬申の日に完全に癒えましょう。」
  • 夫差は「なぜそれが分かるのか」と尋ねた。
  • 句踐は言った。「臣は医師からこう聞いております。『糞というものは、穀物の味である。季節の気候に順えば生じ、季節の気候に逆らえば死ぬ』と。今、囚われの臣がひそかに大王の糞を嘗めましたところ、味は苦く酸味がありました。これはまさに春夏の発生の気に応じたものです。それゆえに知ったのです。」
  • 夫差は大いに喜んで言った。「仁なるかな句踐よ!臣子が君父に仕える中で、誰が糞を嘗めてまで病を判じようとするだろうか。」
  • そのとき太宰嚭がそばにおり、夫差は「そなたにできるか」と尋ねた。嚭は首を横に振って言った。「臣は大王を大変敬愛しておりますが、これだけはできません。」
  • 夫差は言った。「太宰だけでなく、我が太子ですらできまい。」すぐに句踐を石室から出させ、便宜な場所に住まわせることとした。「孤の病が癒えれば、すぐにそなたを帰国させよう。」
  • 句踐は再拝して謝意を述べて退出した。以後は民家を借りて住み、以前どおり牧畜の仕事をした。

夫差、句踐を赦し帰国させる

  • 夫差の病は果たして次第に癒え、すべて句踐が言い当てた時期どおりになった。夫差はその忠義を心に留め、朝廷に出御できるようになると、文台の上に酒宴を設け、句踐を招いた。
  • 句踐は知らぬふりをして、それまでどおり囚人服のまま来た。夫差はこれを聞き、すぐに沐浴し衣冠を改めさせた。
  • 句踐は再三辞退したが、ようやく命に従った。着替えて謁見し、再拝稽首した。
  • 夫差は慌てて助け起こし、すぐに号令を発した。「越王は仁徳の人である。どうして長く辱めることができようか。寡人はその囚われの役を解き、罪を赦して帰国させる。今日は越王のために北向きの席を設け、群臣は客の礼をもって遇せよ。」
  • そして揖礼を交わし、客席に着かせた。諸大夫はみな傍らに列座した。
  • 子胥は呉王が仇を忘れて敵を厚遇するのを見て、心中不満を抱き、座に着こうとせず、衣を払って退出した。
  • 伯嚭は進み出て言った。「大王は仁者の心をもって、仁者の過ちをお赦しになりました。臣が聞くところによれば『同じ声は相和し、同じ気は相求める』と申します。今日のこの席は、仁者は留まり、不仁者は去るべきです。相国は剛勇の士ですが、その席に着かれないのは、あるいは自ら恥じておられるのでしょうか。」
  • 夫差は笑って「太宰の言葉はもっともだ」と言った。
  • 酒が三巡したところで、范蠡と越王が共に立ち上がり杯を捧げ、呉王のために祝辞を述べた。その言葉に曰く。(詩:偉大なる王よ、上座におわし、その恩は陽春のように広がる、その仁は比類なく、その徳は日ごとに新たになる。ああ何とめでたいことか!その徳は永く伝わり続け、万年の長寿をお受けになり、末永く呉国をお保ちになりますように。四海はことごとくこれに従い、諸侯は帰服して朝貢する。杯を捧げて酒を献ずれば、永く万福を受けられましょうという趣旨)
  • 呉王は大いに喜び、この日は酔いつぶれるまで宴を続けた。
  • 王孫雄に命じて句踐を客館へ送らせ、「三日以内に、孤はそなたを帰国させよう」と告げた。
  • 翌朝、子胥は呉王に謁見して言った。「昨日、大王は客の礼をもって仇人を遇されました。いったい何をお考えなのですか。句踐は内心に虎狼の心を懐きながら、外には温厚謙虚な姿を装っております。大王は目先の諛言を愛でて、後日の患いを考慮なさっていません。忠直の者を捨てて讒言を聞き入れ、小さな仁に溺れて大きな仇を養う。これはたとえば、炉の炭の上に毛を投げ入れて焦げないことを願うようなもの、千鈞の重みの下に卵を投げて必ず無事であることを望むようなものです。そのようなことがあり得ましょうか。」
  • 呉王は不機嫌に言った。「寡人が病に臥せること三か月、相国は一言も慰めの言葉をかけなかった。これは相国の不忠である。一つの良い品も贈ってくれなかった。これは相国の不仁である。臣として不仁不忠であれば、何の役に立とう。越王は国家を捨て、はるばる千里を経て寡人のもとに帰順し、財貨を献じ、身を奴婢とした。これは彼の忠である。寡人が病んだとき、自ら糞を嘗め、少しも怨みの心を見せなかった。これは彼の仁である。寡人がもし相国の私意に従い、このような善良な士を誅すれば、皇天は必ず寡人を助けはしないだろう。」
  • 子胥は言った。「王はなぜそのように言葉を裏返されるのですか。そもそも虎はその勢いを低くするとき、必ず何かを撃とうとしているものです。狸がその身を縮めるとき、必ず何かを捕らえようとしているものです。越王は呉に臣従してはいますが、心には怨みを抱いております。大王はどうしてそれをお知りになれましょうか。彼が大王の糞を嘗めたのは、実は大王の心を上から食い荒らしているのです。王がもしそれを見抜かれず、その奸計にはまれば、呉は必ず捕らえられることになりましょう。」
  • 呉王は言った。「相国は、このことを二度と口にせぬがよい。寡人の意はすでに決まった!」
  • 子胥はこれ以上諫めることができないと知り、鬱々として退いた。
  • 三日目、呉王は改めて蛇門の外に酒宴を設け、自ら越王を城外まで見送った。群臣はみな杯を捧げて餞別したが、子胥だけは来なかった。
  • 夫差は句踐に言った。「寡人はそなたを赦して帰国させる。そなたは呉の恩を思い、呉への怨みを覚えないようにせよ。」
  • 句踐は頭を地につけて言った。「大王は臣の孤独と窮しさを憐れみ、故国に生きて帰ることをお許しくださいました。生々世々、力を尽くしてご恩に報いる所存です。蒼天は上にあって、まさにこの臣の心を照覧しております。もし呉に背くようなことがあれば、皇天よ、決してお助けなさいませんように!」
  • 夫差は言った。「君子の一言は約束である。そなたはそのまま出発するがよい。努めよ、努めよ!」
  • 句踐は再拝して跪き伏し、涙を満面に流し、名残惜しげな様子を見せた。
  • 夫差は自ら句踐を助けて車に登らせ、范蠡が御者を務め、夫人も再拝して謝恩し、共に輦に乗り、南を望んで去った。(このとき周敬王二十九年のことである。)
  • 史臣に詩がある。(詩:越王はすでに釜の中の魚となったはずが、まさか残りの命を長らえ会稽から生きて出られようとは、笑うべきかな夫差の先を見る目の無さよ、網を開いて大魚を放ってしまったという趣旨)

句踐、会稽に遷都し新城を築く

  • 句踐は浙江のほとりに戻ると、川を隔てた山川が再び重なり秀麗に見え、天地もまた清々しく見えることに、嘆じて言った。「孤は自ら永久に万民に別れを告げ、骨を異郷に埋めるものと思っていたが、まさか再び国に帰り宗祀を奉じられようとは。」
  • 言い終わると、夫人と向き合って泣き、左右の者もみな感動して涙を流した。
  • 文種は早くから越王が近づいていることを知っており、国を守っていた群臣と城中の民を率いて浙水のほとりに拝迎し、歓声が大地を揺るがした。
  • 句踐は范蠡に帰国の日を占わせた。蠡は指を折って「不思議なことに、王が日を選ばれるまでもなく、明日が最も吉です。王は速やかにこれに応じられるべきです」と言った。
  • そこで馬を鞭打ち車を飛ばし、夜通し都に帰り着いた。廟に告げ朝廷に臨むことは、いちいち述べない。
  • 句踐は会稽の恥を心に刻み、会稽に城を立て遷都することを望み、これを常に自らへの戒めとしようとし、この事業を専ら范蠡に委ねた。
  • 蠡は天文を観測し、地理を調べ、新城の設計を行い、会稽山をその内に取り込んだ。西北には臥龍山に飛翼楼を立て、天の門を象徴させた。東南には隠れた石造りの地下水路を設け、地の戸を象徴させた。外郭の周囲は、ただ西北だけを欠けさせ、「すでに呉に臣服しており、貢献の道を塞ぐことはできません」と表向き言い立てたが、実際にはひそかに進んで攻め取るための便を図ったものであった。
  • 城が完成すると、突然城中に一山が湧き出た。周囲は数里あり、その形は亀のようで、天然の草木が生い茂っていた。ある人がこの山を見て、それが瑯琊の東武山であることを見分けたが、なぜか一夜のうちに飛来したものであった。
  • 范蠡は奏上した。「臣がこの城を築いたのは、上は天象に応じたものです。それゆえ天が『崑崙』を降し、越の覇業を開かせてくださったのです。」
  • 越王は大いに喜び、その山を怪山、あるいは飛来山、あるいは亀山と名付けた。山の頂には霊台を立て、三層の楼を建て、この霊なる物を望み見られるようにした。
  • 新都の構えがすべて整うと、句踐は諸暨からここに移り住んだ。范蠡に言った。「孤は実に不徳であったために、国を失い家を破り、身は奴隷とまでなった。もし相国や諸大夫の助けがなければ、どうして今日があろうか。」
  • 蠡は言った。「これは大王の福でございます。臣らの功ではございません。ただ願わくば大王、常に石室での苦しみをお忘れにならないよう。そうすれば越国は興り、呉への仇も報いられましょう。」
  • 句踐は「謹んで教えを受けよう!」と言った。

臥薪嘗胆と善政、呉からの封地加増

  • そこで文種に国政を治めさせ、范蠡に軍旅を治めさせ、賢者を尊び士を礼遇し、老を敬い貧を憐れみ、民は大いに喜んだ。
  • 越王は糞を嘗めて以来、常に口臭に悩まされていた。范蠡は城の北にある山に蕺(しゅう)という野菜が生え、食べられるが微かに匂いがあることを知り、人に採らせ、朝廷中でこれを食べて、王の口臭をごまかした。後世の人はこの山を蕺山と名付けた。
  • 句踐は復讐を急ぐあまり、身を苦しめ心を労し、夜も昼も休むことがなかった。目が疲れて閉じそうになれば蓼(辛味の強い草)で自らを攻め立て、足が冷えて縮こまれば水に浸した。
  • 冬には常に氷を抱き、夏にはなお火を握った。薪を積んで寝床とし、寝具や布団を用いなかった。
  • また座右に胆を懸け、飲食起居のたびに必ずこれを手に取って嘗めた。夜中にはひそかに泣き、泣いてはまた嘯き、「会稽」の二字を口から絶やすことがなかった。
  • 敗戦によって民が大いに減ったため、法令を定め、壮者に老いた妻を娶らせず、老者に若い妻を娶らせず、女子は十七で嫁がねば、男子は二十で娶らねば、その父母を罪に問うこととした。
  • 妊婦が出産に臨めば、官に届け出て、医師に付き添わせた。男子を生めば酒一壺と犬一匹を、女子を生めば酒一壺と豚一匹を賜った。子を三人生めば官がそのうち二人を養い、二人生めば官がそのうち一人を養った。
  • 死者が出れば、自ら弔問した。
  • 外出のたびには、必ず飯と羹を後車に載せ、子供に出会えば必ず食べさせ飲ませ、その姓名を尋ねた。農耕の時期に出会えば、自ら鋤を手にして働いた。夫人は自ら機を織り、民間の者たちと共に労苦を分かち合った。
  • 七年間、民の税を収めなかった。食事には肉を加えず、衣には重ねた色を用いなかった。
  • ただ安否を尋ねる使者だけは、月ごとに一度も欠かさず呉に赴いた。
  • また男女を山に入らせて葛を採らせ、黄色の細い葛布を織らせ、これを呉王に献上しようとしたが、まだ差し出さぬうちに、呉王は句踐の従順さを称え、人を遣わしてその封地を増やした。
  • こうして東は句甬に、西は檇李に、南は姑蔑に、北は平原に至るまで、縦横いずれも八百余里に及ぶ広大な土地がすべて越の版図となった。
  • 句踐はそこで葛布十万疋、甘蜜百壜、狐皮五双、晋竹十艘を用意し、封地の礼に応えた。夫差は大いに喜び、越王に羽毛の飾りを賜った。
  • 子胥はこれを聞き、病と称して朝廷に出なくなった。

夫差の姑蘇台改築と文種の七術

  • 夫差は越がすでに二心なく臣服したと見て、いよいよ伯嚭の言葉を深く信じるようになった。
  • ある日、伯嚭に尋ねた。「今日、四方に事もなく、寡人は宮室を広げて自ら楽しみたい。どこが適しているだろうか。」
  • 嚭は奏上した。「呉の都の管下で、崇高な台のある景勝地としては、姑蘇に及ぶものはございません。しかし先王が築かれたものは、大きな眺望をなすには十分ではありません。王はこの台を改めて建て直し、高さは百里を望めるほど、広さは六千人を容れられるほどにされ、歌う童子や舞う女を集めて、人間界の楽しみを極めてはいかがでしょうか。」
  • 夫差はこれをもっともとし、そこで褒賞を懸けて大木を求めさせた。
  • 文種はこれを聞き、越王に進言した。「臣が聞くところによれば『高く飛ぶ鳥は美食によって死に、深い淵の魚は芳しい餌によって死す』と申します。今、王の志は呉に報復することにあります。まずその好むところに投じ、それによってその命を制するべきです。」
  • 句踐は言った。「たとえその好むところを与えたとしても、どうしてその命を制することができようか。」
  • 文種は答えた。「臣が呉を破る術には七つございます。一つは財貨を惜しまず与え、その君臣を悦ばせること。二つは粟や槀を高く買い上げ、その蓄えを空にすること。三つは美女を贈り、その心志を惑わせること。四つは巧みな職人と良材を贈り、宮室を作らせて財を使い尽くさせること。五つは佞臣を贈り、その謀を乱すこと。六つは諫言する臣を強いて自殺させ、その輔弼を弱めること。七つは財を蓄え兵を練り、その疲弊に乗じること、以上でございます。」
  • 句踐は言った。「良い策だ!今日はまずどの術から行うべきか。」
  • 文種は答えた。「今、呉王はまさに姑蘇台を改築しております。名山の神材を選び、これを献上するのがよろしいでしょう。」
  • 越王はそこで木工三千余人を山に入らせ木を伐らせたが、年を経ても何も得られなかった。工人たちは帰りたがり、みな怨みの心を抱き、『木客の吟』を歌った。(詩:朝に木を採り、暮れに木を採り、朝な夕なに山の奥へ入っていく、険しい岩と絶えた谷を、ただ何度も往復するだけ。天は生ぜず地は育てず、木客に何の罪があってこれほどの苦役を受けるのかという趣旨)
  • 夜な夜な長く歌う声は、聞く者を悲しませた。
  • ある夜、突然天が神木を一対生じさせた。太さは二十囲、長さは五十尋、山の南にあるものを梓、山の北にあるものを楠といった。
  • 木工たちはこれを目の当たりにして驚き、これまで見たことがないものだと、急いで越王に知らせた。
  • 群臣はみな祝賀して言った。「これは大王の精誠が天に届いたゆえ、天が神木を生じさせ、王の心を慰めたのです。」
  • 句踐は大いに喜び、自ら祭祀を執り行った後、これを伐らせた。
  • 彫琢し磨き上げ、丹青をもって五色の龍蛇の文様を描かせ、文種に江を下らせて呉王に献上させた。「東海の賤臣、句踐は、大王のお力を頼りに、ひそかに小さな殿舎を造ろうとしておりましたところ、たまたま巨大な材を得ました。自ら用いることをあえてせず、下役を通じて大王の左右にお届けする次第です。」
  • 夫差はこの木材が異様なほど立派なのを見て、驚き喜んだ。
  • 子胥は諫めて言った。「昔、桀は霊台を建て、紂は鹿台を建て、民力を窮竭させ、ついに滅亡を招きました。句踐は呉を害そうとして、この木を献じたのです。王はお受け取りになるべきではありません。」
  • 夫差は言った。「句踐はこの良材を得ながら自ら用いず、寡人に献上したのは、彼の好意ではないか。どうしてこれに逆らえようか。」
  • ついにこれを聞き入れず、この木で姑蘇の台を建てた。三年かけて材木を集め、五年をかけてようやく完成した。高さ三百丈、広さ八十四丈、台に登れば二百里先まで見渡すことができた。もとは九曲の径で山に登っていたが、この時さらにこれを広げた。
  • 民は昼夜を分かたず働き、疲労のあまり死ぬ者が数え切れないほどであった。
  • 梁伯龍の詩がある。(詩:千仞の高台は太湖に面し、朝には鐘、夕には鼓を鳴らして姑蘇で宴を催す、その威勢は海外三千里にまで及び、江南第一の都として覇を占めたという趣旨)

越王、美女献上の計を練る

  • 越王はこれを聞き、文種に言った。「そなたが言った『巧みな職人と良材を贈り、宮室を作らせてその財を尽くさせる』という策は、すでに実行できた。今や、崇高な台の上には、必ず選りすぐりの歌姫舞姫を集めて満たすことになろう。絶世の美女がいなければ、その心を奢らせるには足りない。そなたはひとつ寡人のためにこれを謀ってくれ!」
  • 文種は答えた。「興亡の運命は天が定めるもの。すでに神木が生じたからには、どうして美女がいないと心配することがありましょうか。ただ民間から探し求めれば、人心を驚かせることを恐れます。臣に一計がございます。国中の女子を集めて検分し、ただ王がお選びになるままにいたしましょう。」
  • 文種がどのような計を語り出すかは、次回をご覧いただきたい。
原文(底本)
話說越大夫文種,蒙吳王夫差許其行成,回報越王,言:「吳王已班師矣。遣大夫王孫雄隨臣到此,催促起程,太宰屯兵江上,專候我王過江。」越王句踐不覺雙眼流淚。文種曰:「五月之期迫矣!王宜速歸,料理國事,不必為無益之悲。」越王乃收淚。回至越都,見市井如故,丁壯蕭然,甚有慙色。留王孫雄於館驛,收拾庫藏寶物,裝成車輛,又括國中女子三百三十人,以三百人送吳王,三十人送太宰,時尚未有行動之日,王孫雄連連催促。句踐泣謂群臣曰:「孤承先人餘緒,兢兢業業,不敢怠荒。今夫椒一敗,遂至國亡家破,千里而作俘囚,此行有去日,無歸日矣!」群臣莫不揮涕。文種進曰:「昔者湯囚於夏臺,文王繫於羑里,一舉而成王﹔齊桓公奔莒,晉文公奔翟,一舉而成伯。夫艱苦之境,天之所以開王伯也。王善承天意,自有興期,何必過傷,以自損其志乎?」句踐於是即日祭祀宗廟,王孫雄先行一日,句踐與夫人隨後進發,群臣皆送至浙江之上。范蠡具舟於固陵,迎接越王,臨水祖道。文種舉觴王前,祝曰:

    皇天祐助,前沉後揚﹔禍為德根,憂為福堂。威人者滅,服從者昌﹔王雖淹滯,其後無殃。君臣生離,感動上皇﹔眾夫哀悲,莫不感傷!臣請薦脯,行酒二觴。

句踐仰天嘆息,舉杯垂涕,默無所言。范蠡進曰:「臣聞『居不幽者志不廣﹔形不愁者思不遠。』古之聖賢,皆遇困厄之難,蒙不赦之恥,豈獨君王哉?」句踐曰:「昔堯任舜禹而天下治,雖有洪水,不為人害。寡人今將去越入吳,以國屬諸大夫,大夫何以慰寡人之望乎?」范蠡謂同列曰:「吾聞『主憂臣辱,主辱臣死。』今主上有去國之憂,臣吳之辱,以吾浙東之士,豈無一二豪傑,與主上分憂辱者乎?」於是諸大夫齊聲曰:「誰非臣子?惟王所命!」句踐曰:「諸大夫不棄寡人,願各言爾志:誰可從難?誰可守國?」文種曰:「四境之內,百姓之事,蠡不如臣﹔與君周旋,臨機應變,臣不如蠡。」范蠡曰:「文種自處已審,主公以國事委之,可使耕戰足備,百姓親睦。至於輔危主,忍垢辱,往而必反,與君復仇者,臣不敢辭。」於是諸大夫以次自述。太宰苦成曰:「發君之令,明君之德,統煩理劇,使民知分,臣之事也。」行人曳庸曰:「通使諸侯,解紛釋疑,出不辱命,入不被尤,臣之事也。」司直皓進曰:「君非臣諫,舉過決疑,直心不撓,不阿親戚,臣之事也。」司馬諸稽郢曰:「望敵設陣,飛矢揚兵,貪進不退,流血滂滂,臣之事也。」司農皋如曰:「躬親撫民,弔死存疾,食不二味,蓄陳儲新,臣之事也。」太史計倪曰:「侯天察地,紀歷陰陽,福見知吉,妖出知凶,臣之事也。」句踐曰:「孤雖入於北國,為吳窮虜,諸大夫懷德抱術,各顯所長,以保社稷,孤何憂焉!」乃留眾大夫守國,獨與范蠡偕行,君臣別於江口,無不流涕。句踐仰天嘆曰:「死者,人之所畏,若孤之聞死,胸中絕無怵惕。」遂登船逕去。送者皆哭拜於江岸下,越王終不返顧。有詩為證:

    斜陽山外片帆開,風捲春濤動地回﹔今日一樽沙際別,但時重見渡江來?

越夫人乃據舷而哭,見烏鵲啄江渚之蝦,飛去復來,意甚閒適,因哭而歌之,曰:

    仰飛鳥兮烏鳶,凌玄虛兮翩翩﹔集洲渚兮優恣,奮健翮兮雲間﹔啄素蝦兮飲水,任厥性兮往還。妾無罪兮負地,有何辜兮譴天?風飄飄兮西往,知再返兮何年?心輟輟兮若割,淚泫泫兮雙懸!

越王聞夫人怨歌,心中內慟,強笑以慰夫人之心曰:「孤之六翮備矣,高飛有日,復何憂哉!」

  越王既入吳界,先遣范蠡見太宰伯嚭於吳山,復以金帛女子獻之。嚭問曰:「文大夫何以不至?」蠡曰:「為吾主守國,不得偕來也。」嚭遂隨范蠡來見越王,越王深謝其覆庇之德。嚭一力擔承,許以返國,越王之心稍安。伯嚭引軍押送越王,至於吳下,引入見吳王。句踐肉袒伏於階下,夫人亦隨之。范蠡將寶物女子,開單呈獻於下。越王再拜稽首曰:「東海役臣句踐,不自量力,得罪邊境。大王赦其深辜,使執箕帚,誠蒙厚恩,得保須臾之命,不勝感戴!句踐謹叩首頓首。」夫差曰:「寡人若念先君之仇,子今日無生理!」句踐復叩首曰:「臣實當死,惟大王憐之!」時子胥在旁,目若熛火,聲如雷霆,乃進曰:「夫飛鳥在青雲之上,尚欲彎弓而射之,況近集于庭廡乎?句踐為人機險,今為釜中之魚,命制庖人,故諂詞令色,以求免刑誅。一旦稍得志,如放虎於山,縱鯨於海,不復可制矣!」夫差曰:「孤聞誅降殺服,禍及三世。孤非愛越而不誅,恐見咎於天耳!」太宰嚭曰:「子胥明於一時之計,不知安國之道。吾王誠仁者之言也!」子胥見吳王信伯嚭之佞言,不用其諫,憤憤而退。夫差受越貢獻之物,使王孫雄於闔閭墓側,築一石室,將句踐夫婦貶入其中,去其衣冠,蓬首垢衣,執養馬之事。伯嚭私饋食物,僅不至於飢餓。吳王每駕車出遊,句踐執馬箠步行車前,吳人皆指曰:「此越王也!」句踐低首而已。有詩為證:

  堪嘆英雄值坎坷,平生意氣盡銷磨﹔魂離故苑歸應少,恨滿長江淚轉多。

句踐在石室二月,范蠡朝夕侍側,寸步不離。忽一日,夫差召句踐入見,句踐跪伏於前,范蠡立於後。夫差謂范蠡曰:「寡人聞『哲婦不嫁破亡之家,名賢不官滅絕之國。』今句踐無道,國已將亡,子君臣並為奴僕,羈囚一室,豈不鄙乎?寡人欲赦子之罪,子能改過自新,棄越歸吳,寡人必當重用。去憂患而取富貴,子意何如?」時越王伏地流涕,惟恐范蠡之從吳也。只見范蠡稽首而對曰:「臣聞『亡國之臣,不敢語政﹔敗軍之將,不敢語勇。』臣在越不忠為信,不能輔越王為善,致得罪於大王,幸大王不即加誅,得君臣相保,入備掃除,出給趨走,臣願足矣。尚敢望富貴哉?」夫差曰:「子既不移其志,可仍歸石室。」蠡曰:「謹如君命。」夫差起,入宮中。句踐與范蠡趨入石室。越王服犢鼻,著樵頭,斫剉養馬。夫人衣無緣之裳,施左關之襦,汲水除糞灑掃。范蠡拾薪炊爨,面目枯槁。夫差時使人窺之,見其君臣力作,絕無幾微怨恨之色,終夜亦無愁嘆之聲,以此謂其無志思鄉,置之度外。

  一日,夫差登姑蘇臺,望見越王及夫人端坐於馬糞之旁,范蠡操箠而立於左,君臣之禮存,夫婦之儀具。夫差顧謂太宰嚭曰:「彼越王不過小國之君,范蠡不過一介之士,雖在窮厄之地,不失君臣之禮,寡人心甚敬之。」伯嚭對曰:「不惟可敬,亦可憐也。」夫差曰:「誠如太宰之言,寡人目不忍見。倘彼悔過自新,亦可赦乎?」嚭對曰:「臣聞『無德不復。』大王以聖王之心,哀孤窮之士,加恩於越,越豈無厚報?願大王決意。」夫差曰:「可命太史擇吉日,赦越王歸國。」伯嚭密遣家人以五鼓投石室,將喜信報知句踐。句踐大喜,告於范蠡。蠡曰:「請為王占之。今日戊寅,以卯時聞信,戊為囚日,而卯復克戊。其繇曰:『天網四張,萬物盡傷,祥反為殃。』雖有信,不足喜也。」句踐聞言,喜變為憂。

  卻說子胥聞吳王將赦越王,急入見曰:「昔桀囚湯而不誅,紂囚文王而不殺,天道還反,禍轉成福,故桀為湯所放,商為周所滅。今大王既囚越君,而不行誅,誠恐夏殷之患至矣。」夫差因子胥之言,復有殺越王之意,使人召之。伯嚭復先報句踐,句踐大驚,又告於范蠡。蠡曰:「王勿懼也。吳王囚王已三年矣。彼不忍於三年,而能忍於一日乎?去必無恙。」句踐曰:「寡人所以隱忍不死者,全賴大夫之策耳。」乃入城來見吳王,候之三日,吳王並不視朝。伯嚭從宮中出,奉吳王之命,使句踐復歸石室。句踐怪問其故,伯嚭曰:「王惑子胥之言,欲加誅戮,所以相召。適王感寒疾不能起,某入宮問疾,因言『禳災宜作福事。今越王匍匐待誅於闕下,怨苦之氣,上干於天。王宜保重,且權放還石室,待疾愈而圖之。』王聽某之言,故遣君出城耳。」句踐感謝不已。句踐居石室,忽又三月,聞吳王病尚未愈,使范蠡卜其吉凶。蠡布卦已成,對曰:「吳王不死,至己巳日當減,壬申日必全愈。願大王請求問疾,倘得入見,因求其糞而嘗之,觀其顏色,再拜稱賀,言病起之期。至期若愈,必然心感大王,而赦可望矣。」句踐垂淚言曰:「孤雖不肖,亦曾南面為君,奈何含污忍辱,為人嘗泄便乎?」蠡對曰:「昔紂囚西伯於羑里,殺其子伯邑考,烹而餉之,西伯忍痛而食子肉。夫欲成大事者,不矜細行。吳王有婦人之仁,而無丈夫之決,已欲赦越,忽又中變,不如此,何以取其憐乎?」句踐即日投太宰府中,見伯嚭曰:「人臣之道,主疾則臣憂。今聞主公抱痾不瘳,句踐心孤失望,寢食不安,願從太宰問疾,以伸臣子之情。」嚭曰:「君有此美意,敢不轉達。」伯嚭入見吳王,曲道句踐相念之情,願入問疾。夫差在沉困之中,憐其意而許之。嚭引句踐入於寢室,夫差強目視曰:「句踐亦來見孤耶?」句踐叩首奏曰:「囚臣聞龍體失調,如摧肝肺,欲一望顏色而無由也。﹍﹍」言未畢,夫差覺腹漲欲便,麾使出。句踐曰:「臣在東海,曾事醫師,觀人泄便,能知疾之瘥劇。」乃拱立於戶下。侍人將餘桶近床,扶夫差便訖,將出戶外。句踐揭開桶蓋,手取其糞,跪而嘗之。左右皆掩鼻。句踐復入叩首曰:「囚臣敢再拜敬賀大王,王之疾,至己巳日有瘳,交三月壬申全愈矣。」夫差曰:「何以知之?」句踐曰:「臣聞於醫師:『夫糞者,穀味也。順時氣則生,逆時氣則死。』今囚臣竊嘗大王之糞,味苦且酸,正應春夏發生之氣,是以知之。」夫差大悅曰:「仁哉句踐也!臣子之事君父,孰肯嘗糞而決疾者?」時太宰嚭在旁,夫差問曰:「汝能乎?」嚭搖首曰:「臣雖甚愛大王,然此事亦不能。」夫差曰:「不但太宰,雖吾太子亦不能也。」即命句踐離其石室,就便棲止:「待孤疾瘳,即當遣伊還國。」句踐再拜謝恩而出。自此僦居民舍,執牧養之事如故。夫差病果漸愈,一一如句踐所刻之期。心念其忠,既出朝,命置酒於文臺之上,召句踐赴宴。句踐佯為不知,仍前囚服而來。夫差聞之,即令沐浴,改換衣冠。句踐再三辭謝,方纔奉命。更衣入謁,再拜稽首。夫差慌忙扶起,即出令曰:「越王仁德之人,焉可久辱!寡人將釋其囚役,免罪放還。今日為越王設北面之坐,群臣以客禮事之。」乃揖讓使就客坐,諸大夫皆列坐於旁。子胥見吳王忘仇待敵,心中不忿,不肯入坐,拂衣而出。伯嚭進曰:「大王以仁者之心,赦仁者之過。臣聞『同聲相和,同氣相求。』今日之坐,仁者宜留,不仁者宜去。相國剛勇之夫,其不坐,殆自慚乎?」夫差笑曰:「太宰之言當矣。」酒三行,范蠡與越王俱起進觴,為吳王壽﹔口致祝辭曰:

    皇王在上,恩播陽春﹔其仁莫比,其德日新。於乎休哉!傳德無極﹔延壽萬歲,長保吳國。四海咸承,諸侯賓服﹔觴酒既升,永受萬福!

吳王大悅,是日盡醉方休。命王孫雄送句踐於客館:「三日之內,孤當送爾歸國。」至次早,子胥入見吳王曰:「昨日大王以客禮待仇人,果何見也?句踐內懷虎狼之心,外飾溫恭之貌,大王愛須臾之諛,不慮後日之患,棄忠直而聽讒言,溺小仁而養大仇,譬如縱毛於爐炭之上,而幸其不焦,投卵於千鈞之下,而望其必全,豈可得耶?」吳王咈然曰:「寡人臥疾三月,相國並無一好言相慰,是相國之不忠也﹔不進一好物相送,是相國之不仁也。為人臣不仁不忠,要他何用!越王棄其國家,千里來歸寡人,獻其貨財,身為奴婢,是其忠也﹔寡人有疾,親為嘗糞,略無怨恨之心,是其仁也。寡人若徇相國私意,誅此善士,皇天必不佑寡人矣。」子胥曰:「王何言之相反也。夫虎卑其勢,將有擊也﹔狸縮其身,將有取也。越王入臣於吳,怨恨在心,大王何得知之?其下嘗大王之糞,實上食大王之心,王若不察,中其奸謀,吳必為擒矣。」吳王曰:「相國置之勿言,寡人意已決!」子胥知不可諫,遂鬱鬱而退。至第三日,吳王復命置酒於蛇門之外,親送越王出城。群臣皆捧觴餞行,惟子胥不至。夫差謂句踐曰:「寡人赦君返國,君當念吳之恩,勿記吳之怨。」句踐稽首曰:「大王哀臣孤窮,使得生還故國,當生生世世,竭力報效。蒼天在上,實鑒臣心,如若負吳,皇天不佑!」夫差曰:「君子一言為定,君其遂行。勉之,勉之!」句踐再拜跪伏,流涕滿面,有依戀不舍之狀。夫差親扶句踐登車,范蠡執御,夫人亦再拜謝恩,一同升輦,望南而去。(時周敬王二十九年事也。)史臣有詩云:

  越王已作釜中魚,豈料殘生出會稽?可笑夫差無遠慮,放開羅網縱鯨鯢。

  句踐回至浙江之上,望見隔江山川重秀,天地再清,乃嘆曰:「孤自意永辭萬民,委骨異域,豈期復得返國而奉祀乎?」言罷,與夫人相向而泣,左右皆感動流淚。文種早知越王將至,率守國群臣,城中百姓,拜迎於浙水之上,歡聲動地。句踐命范蠡卜日到國。蠡屈指曰:「異哉,王之擇日也,無如來日最吉。王宜疾趨以應之。」於是策馬飛輿,星夜還都。告廟臨朝,都不必敘。句踐心念會稽之恥,欲立城於會稽,遷都於此,以自警惕,乃專委其事於范蠡。蠡乃觀天文,察地理,規造新城,包會稽山於內。西北立飛翼樓於臥龍山,以象天門﹔東南伏漏石竇,以象地戶。外郭周圍,獨缺西北,揚言:「已臣服於吳,不敢壅塞貢獻之道」,實陰圖進取之便。城既成,忽然城中湧出一山,周圍數里,其象如龜,天生草木盛茂,有人認得此山,乃瑯琊東武山,不知何故,一夕飛至。范蠡奏曰:「臣之築城,上應天象,故天降『崑崙』,以啟越之伯也。」越王大喜,乃名其山曰怪山,亦曰飛來山,亦曰龜山。於山巔立靈臺,建三層樓,以望靈物。制度俱備,句踐自諸暨遷而居之,謂范蠡曰:「孤實不德,以至失國亡家,身為奴隸,苟非相國及諸大夫贊助,焉有今日?」蠡曰:「此乃大王之福,非臣等之功也。但願大王時時勿忘石室之苦,則越國可興,而吳仇可報矣。」句踐曰:「敬受教!」於是以文種治國政,以范蠡治軍旅,尊賢禮士,敬老恤貧,百姓大悅。越王自嘗糞之後,常患口臭。范蠡知城北有山,出蔬菜一種,其名曰蕺,可食,而微有氣息,乃使人採蕺,舉朝食之,以亂其氣。後人因名其山曰蕺山。句踐迫欲復仇,乃苦身勞心,夜以繼日。目倦欲合,是攻之以蓼﹔足寒欲縮,則漬之以水。冬常抱冰,夏還握火﹔累薪而臥,不用床褥。又懸膽於坐臥之所,飲食起居,必取而嘗之。中夜潛泣,泣而復嘯,會稽二字,不絕於口。以喪敗之餘,生齒虧減,乃著令使壯者勿娶老妻,老者勿娶少婦﹔女子十七不嫁,男子二十不娶,其父母俱有罪﹔孕婦將產,告於官,使醫守之﹔生男賜以壺酒一犬,生女賜以壺酒一豚﹔生子三人,官養其二,生子二人,官養其一。有死者,親為哭弔。每出遊,必載飯與羹於後車,遇童子,必餔而啜之,問其姓名。遇耕時,躬身秉耒。夫人自織,與民間同其勞苦。七年不收民稅。食不加肉,衣不重采。惟問候之使,無一月不至於吳。復使男女入山採葛,作黃絲細布,欲獻吳王﹔尚未及進,吳王嘉句踐之順,使人增其封。於是東至句甬,西至檇李,南至姑蔑,北至平原,縱橫八百餘里,盡為越壤。句踐乃治葛布十萬疋,甘蜜百壜,狐皮五雙,晉竹十艘,以答封地之禮。夫差大悅,賜越王羽毛之飾。子胥聞之,稱疾不朝。

  夫差見越已臣服不貳,遂深信伯嚭之言。一日,問伯嚭曰:「今日四境無事,寡人欲廣宮室以自娛,何地相宜?」嚭奏曰:「吳都之下,崇臺勝境,莫若姑蘇,然前王所築,不足以當巨覽。王不若重將此臺改建,令其高可望百里,寬可容六千人,聚歌童舞女於上,可以極人間之樂矣。」夫差然之。乃懸賞購求大木。文種聞之,進於越王曰:「臣聞『高飛之鳥,死於美食﹔深泉之魚,死於芳餌。』今王志在報吳,必先投其所好,然後得制其命。」句踐曰:「雖得其所好,豈遂能制其命乎?」文種對曰:「臣所以破吳者有七術:一曰捐貨幣,以悅其君臣﹔二曰貴糴粟槀,以虛其積聚﹔三曰遺美女,以惑其心志﹔四曰遺之巧工良材,使作宮室,以罄其財﹔五曰遺之諛臣,以亂其謀﹔六曰彊其諫臣使自殺,以弱其輔﹔七曰積財練兵,以承其弊。」句踐曰:「善哉!今日先行何術?」文種對曰:「今吳王方改築姑蘇臺,宜選名山神材,奉而獻之。」越王乃使木工三千餘人,入山伐木,經年無所得。工人思歸,皆有怨望之心,乃歌《木客之吟》曰:

    朝採木,暮採木,朝朝暮暮入山曲,窮巖絕壑徒往復。天不生兮地不育,木客何辜兮,受此勞酷?

每深夜長歌,聞者淒絕。忽一夜,天生神木一雙,大二十圍,長五十尋,在山之陽者曰梓,在山之陰者曰楠。木工驚睹,以為目未經見,奔告越王。群臣皆賀曰:「此大王精誠格天,故天生神木,以慰王衷也。」句踐大喜,親往設祭而後伐之。加以琢削磨礱,用丹青錯畫為五采龍蛇之文,使文種浮江而至,獻於吳王曰:「東海賤臣句踐,賴大王之力,竊為小殿,偶得巨材,不敢自用,敢因下吏獻於左右。」夫差見木材異常,不勝驚喜。子胥諫曰:「昔桀起靈臺,紂起鹿臺,窮竭民力,遂致滅亡。句踐欲害吳,故獻此木,王勿受之。」夫差曰:「句踐得此良材,不自用而獻於寡人,乃其好意,奈何逆之?」遂不聽,乃將此木建姑蘇之臺。三年聚材,五年方成,高三百丈,廣八十四丈,登臺望徹二百里。舊有九曲徑以登山,至是更廣之。百姓晝夜并作,死於疲勞者,不可勝數。有梁伯龍詩為證:

    千仞高臺面太湖,朝鐘暮鼓宴姑蘇﹔威行海外三千里,霸占江南第一都。

越王聞之,謂文種曰:「子所云『遺之巧匠良材,使作宮室,以盡其財。』此計已行。今崇臺之上,必妙選歌舞以充之,非有絕色,不足侈其心志。子其為寡人謀之!」文種對曰:「興亡之數,定於上天,既生神木,何患無美女。但搜求民間,恐驚動人心﹔臣有一計,可閱國中之女子,惟王所擇。」不知文種說出甚計,且看下回分解。

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