殘唐五代史演義傳第九回 克用、弓矢で周徳威を服従させる (克用箭服周德威)

要約

晋王が居延川に差しかかると、三百余人の兵と金甲銀盔の大将が道を塞いだ。鎮南将軍の周徳威、字は敬遠、朔州馬邑の者で、金宝を残せば通すと言う。晋王は沙陀の李晋王克用だと告げ、ともに中原へ上って黄巣を滅ぼせば富貴をともにすると説いたが、徳威は唐に背いた逆賊の言など聞けぬと撥ねつけ、百余合戦っても勝敗つかなかった。

徳威はわざと敗れて逃げ、追う晋王に矢を放ったが、克用は弦音と同時に手で受け止めた。受け止めても射れまいと言われた晋王は、わが射は九杖連珠箭だと答えた。徳威は、三百歩の外の紅旗の角の金簪を射て馬鞭を落とせば従うと言う。晋王は外せば清名を汚すと迷い、飛ぶ黒鷲の群を見て、動かぬ物は射ぬ、行列の二番目を落とすと言った。徳威はできれば降ると応じ、矢を二つに折って誓いの証とし、晋王が一箭放つと黒鷲は地に落ちた。

徳威は馬を下りて拝し、神箭は古今にまれ、歩卒となっても従いたいと言った。晋王も助け起こして他日は封侯に列そうと言い、空名の辞令に大唐議国左軍師と書き入れ、金牌にも軍師の字号を書いて授け、帷幄の参謀とした。

その夜、晋王は孫子を読むうち眠り込み、両翼の猛虎が帳に飛び込む夢を見た。斬りつけると虎はかわし、一爪で打ち倒して左腕を折った。覚めて、一臂を断つ夢は不祥、何の将を損なうのかと嘆いて一絶を口にした。翌朝、夢を聞いた徳威は占って一員の上将を得る大吉だと祝し、周の文王が飛熊の夢を見て狩りに出、渭水でまっすぐな鉤で釣る老人に会い、それが道号飛熊の姜尚で、のちに武王が尚父と称して紂を伐ち周の八百年の天下を成したと語り、子牙を詠む詩を挙げた。敬思も従うよう勧め、晋王は鷹犬と狩具をそろえ、太保四員と三千の人馬で山中に囲い場を布いた。卓吾子は、一箭で徳威を降したのは天がまだ唐を亡ぼさぬゆえで、飛虎の夢でその兆しは明らかだと評した。

現代語訳全文

居延川で行く手を阻む紅袍の将

  • 敬思は晋王とともに馬上でいくつかの故事を論じ合っていた。晋王は大いに喜び、「公はまことに古今に通じた博学の士である」と嘆じた。話し終えると、兵を急がせて進ませた。
  • 蘇武廟を過ぎ、まさに居延川に差しかかろうとするころ、数里も行かぬうちに、にわかに山の斜面の裏で一発の砲声が鳴り、鉦太鼓が一斉に鳴り響き、旌旗が日を覆い、一隊の兵が現れた。およそ三百余人、先頭に一人の大将が立って行く手を塞いだ。
  • 「見よ、それは何者か、どのような出で立ちか」その姿は次のように示された(詩:金甲銀盔に竜弓、山岳を動かす威風)

誰何と勧誘、そして百余合

  • 晋王は知らせを聞いて馬を止め、前へ進んで見ると、眉目秀麗で気概の鋭い将であった。「来たる将は誰か。名を名乗れ」と厲声で問うと、相手は「われは鎮南将軍、姓は周、名は徳威、字は敬遠、朔州馬邑の者だ。金宝を残していくなら通してやろう」と答えた。
  • 晋王は徳威の名を聞いて内心喜び、「われは直北沙陀の李晋王克用である。かねて紅袍の周徳威と評判に聞いていたが、将軍がそれか」と応じた。
  • さらに「聞けばおまえは世の英雄、文武の全才を抱く者だという。なぜ邪を棄てて正に帰さず、われとともに中原へ上って黄巣を征滅し、大唐の天下を取り戻して功勲を建てぬのか。われはおまえと富貴をともにしよう。功勲を当世に建て、芳名を史冊に残すほうが、山賊の仲間に身を落として千載にただ汚名一つを残すよりまさろう」と説いた。
  • 徳威は「おまえとて唐に背いて直北に逃げ込んだ逆賊だ。その言い草でどうしてわれを動かせようか」と撥ねつけた。晋王は大いに怒って刀を振るって徳威にまっすぐ斬りかかり、徳威は槍を構えて迎え、両馬相交わって百余合を戦ったが勝敗はつかなかった。

受け止めた矢と、飛ぶ雕を射る賭け

  • 徳威は内心「この老漢は刀法に乱れがなく、かえって気力が増している。わざと隙を見せて誘い出し、矢で射よう」と考えた。さらに数合戦った後、わざと敗れたふりをして槍を虚しく構え、馬を返して逃げ出した。
  • 晋王が「小賊、どこへ逃げる」と高声に叫んで馬を飛ばし追い下ると、徳威は弓を手に取り、矢をつがえて弦に当て、力の限りに引き絞って「老漢、矢を見よ」と叫んで放った。だが克用は目が一段と鋭く、弓弦の鳴る音を聞くと同時に、その矢をすでに手で受け止めていた。
  • 徳威は自分の放った矢が晋王に中らなかったのを見て馬を返し、大声で「老漢、おまえは矢を受け止めることはできても、射ることはできまい」と叫んだ。晋王は「わが射は百歩穿楊、倒掛針魚の法で、名を九杖連珠箭という。おまえのような名もない矢と同じに見るか」と答えた。
  • 徳威は「連珠箭など何ほどのこともない。三百歩の外に紅旗を一面立て、旗の角に金簪を綰じ、簪に馬鞭を一条掛ける。その一箭で金簪に中てて馬鞭を地に落とせるなら、われはおまえに従って巣賊を討ち払いに参ろう」と言った。
  • 晋王は内心「わしはすでに老い、目も霞んできた。金簪を射当てれば名は天下に揚がるが、外せばこの居延川のふもとで清名を汚すことになる」と迷った。
  • そこへ空を一群の黒鷲が飛び過ぎるのが見えた。晋王は一計を案じて「わしはあの動かぬ物は射ぬ。あの行列の二番目を飛ぶ黒鷲を射落として見せよう」と言った。徳威は「動かぬ物さえ射当てられぬのに、どうして飛ぶ黒鷲が射られようか。もし本当にできるなら、われは馬を下りて降ろう」と応じた。
  • 晋王が「ここは夷狄の地界だ。黒鷲を射当てても、おまえが馬を下りぬときは誰が証人になる」と念を押すと、徳威は「一言すでに出れば駟馬も追えぬ、どうして食言などしようか」と言い、箙から矢を一本取り出して二つに折り、「おまえが一羽射当ててなお吾が馬を下りぬなら、これを誓いの証とせよ」と言った。
  • 晋王は「わが手並みなら、一羽を射当てることもできぬとは限るまい」と思い、飾り弓を満月に引き絞り、一箭のみを放つと、弦の鳴るところ黒鷲はたちまち地に落ちた。
  • 宋の賢者はこの箭を漢詩に詠んだ(詩:世を蓋う武勇と、雲を貫いた一箭)
  • さらにもう一首が続けて詠まれた(詩:一箭で得た居延第一の功)

徳威の降伏と軍師任命

  • 晋王が飛ぶ黒鷲を射落とすと全軍が一斉に喝采し、徳威は慌てて馬を下り、頭を垂れてそのまま拝した。
  • 徳威は「大王の神箭は古今にまれです。臣は歩卒に成り下がってでもお従いしたく存じます」と言った。晋王も急いで弓矢を置いて馬を下り、徳威を助け起こし、その背を撫でて「われはもとより敬遠が忠義の士であることを知り、その高名を深く慕っていた。今幸いに従ってくれたからには、他日は封侯の位に列し、大いに用いよう」と言った。
  • そこで係の官に命じて、宛名も官名も書き入れていない白紙の辞令を一通取り出させ、そこへ徳威を大唐議国左軍師に昇せる旨を書き入れ、また金牌一面にも軍師の字号を書き入れて授け、即日から帷幄に参謀して軍機を運らせることとした。徳威は頓首して拝謝した。

虎に左腕を折られる夢

  • 陣営を構えたその夜、晋王は帳中で寝つかれず、灯を秉って孫子の兵法を読むうち、いつしか神思がぼんやりし、脇息にもたれて眠り込んだ。
  • すると夢に一頭の猛虎が現れ、脇に両翼を生やして帳の中へ飛び込んで来た。晋王は驚き懼れ、たちまち剣を抜いて虎に向かって斬りつけた。虎は身をかわしてこれを避け、一爪で晋王を打ち払って倒し、左腕を打ち折った。
  • にわかに驚いて目を覚ますと、それは南柯の一夢であった。全身に冷や汗をかき、目を上げれば帳中の灯燭はほの暗い。衣を羽織って営を出ると、月は朗らかに風は清く、ちょうど夜半であった。
  • 晋王は独りごちて「この夢は不祥だ。まず我が一臂を断つとは、明日巣賊を破るにあたり、いったい何の将を損なうというのか。ひとまず帳中に戻り、夜が明けるのを待って諸将とともに解いてもらおう」と言い、そこで一絶を口にした(詩:凶夢に驚かされる胸のうち)

徳威の夢占いと文王・太公望の故事

  • 翌朝、晋王は帳に上ると急ぎ周徳威を呼び入れ、夢の様子を詳しく語った。徳威は袖の中で一課を占い、「これは大吉の兆しにて、一員の上将を得るしるしです」と祝賀した。
  • 晋王が「どのような証があるのか」と問うと、徳威は次のように語った。
  • 「昔、周の文王は一頭の飛熊が殿に上る夢を見た。翌朝、群臣に夢を占わせると、皆これを吉兆と言い、急ぎ狩りの支度をすれば囲い場の中で飛熊将軍を得るであろうと申しました。文王は大いに喜び、そこで囲い場を布き、渭水のほとりに至ると、まっすぐな鉤で魚を釣る一人の老人に出会いました。文王は『曲がった鉤でさえ魚は容易に釣れぬのに、おまえはなぜまっすぐな鉤で魚を取ろうとするのか』と問うと、老人は『大丈夫はむしろ直きうちに取り、曲がったうちには求めぬものです』と答えました。文王は賢士と見て名を尋ねると、老人は『わが姓は姜、名は尚、道号を飛熊といい、姜呂望と申す者です』と答えました。文王はこれを太公と称し、朝廷に迎えて政を輔けさせました。」
  • 「その後、文王が没すると、子の武王は太公を軍師に拝して尚父と称しました。兵を興して紂を伐つと、期せずして会した諸侯は八百に及びました。戊午の日に兵は孟津に臨み、甲子の日に血は朝歌を浸しました。紂王を破って周の八百年の天下を成したのは、この人の功によるものです。大王がお信じにならぬなら」と言って、徳威は証となる詩を口にした(詩:渭水にひとり竿を垂れた子牙)。
  • 徳威は続けて「文王の夢の応験はこのとおりです。今大王が見た夢も、必ず一員の上将を得るしるしにて、即日狩りの支度をなさるがよろしゅうございます」と結んだ。程敬思も「軍師の占う卦数には根拠があります。大王はその言に従われるべきです」と勧めた。
  • 晋王はこれに従い、ただちに鷹犬と狩りの道具をそろえ、太保四員と三千の人馬を率いた。程敬思・周徳威もともに馬に乗り、陣営を離れてまっすぐ山中に入り、囲い場を布いた。応夢の賢士が得られるかどうかは、いまだ分からない。それは次回に語られる。
  • 逸狂はこの一件を漢詩に詠んだ(詩:飛虎の夢がもたらした賢将との出会い)

評語

  • 卓吾子評:克用が一箭で徳威を降したのも、天がいまだ唐を亡ぼす気がないゆえであり、飛虎が夢に入ったことでその兆しはいっそう明らかである。
原文(底本)
敬思與晉王在馬上正議論幾節故事,晉王大喜,歎曰:「公真博古通今之士也!」話畢,催兵速行。過了蘇武廟,將次居延川,行不數里,忽聽山坡後一聲炮響,金鼓齊鳴,旌旗蔽日,閃出一支兵來,約有三百餘人,當先一員大將,攔住去路。

  看他是誰,怎生打扮?但見:

  戴一頂吞龍頭撒青纓珠閃燦爛銀盔,披一副損槍尖壞箭頭襯香綿黃金甲,穿一領繡牡丹飛雙鳳圈金線張紅袍,係一條稱狼腰宜虎體嵌七寶麒麟帶,著一雙起三尖海獸皮倒雲根虎尾靴,彎一張雀畫面龍角靶紫鬃繡六鉤弓,攢一壺皂雕翎鐵梨桿透唐猊鑿子箭,騎一匹負千斤高八尺能衝陣火龍駒,叱咤一聲山嶽動,輕施韜略鬼神驚。

  晉王聞報,勒馬向前觀看,見他眉清目秀,氣概雄奇,厲聲問曰:「來將是誰?可通名姓。」那將答曰:「我乃鎮南將軍姓周名德威,表字敬遠,朔州馬邑人也。來者可留下金寶,放你過去。」晉王聞說德威,心中暗喜,隨答曰:「吾乃直北沙陀李晉王克用是也,久聞人稱紅袍周德威,原來將軍就是。

  又聞你乃世之英雄,抱文武全才,何不棄邪歸正,跟我同上中原,征滅黃巢,復取大唐天下,建立功勛,與汝同享富貴,著功勛於當世,留芳名於史冊,勝在此綠林中落草,千載只一污名耳!」德威曰:「汝亦是反唐逆賊,逃居直北,安敢以此言激我!」晉王大怒,輪刀直取德威,德威挺槍來迎,兩馬相交,戰上一百餘合,不分勝敗。德威暗思:「這老漢刀法不亂,精神倍加,待我假做破綻,誘他趕來,用箭射之。」又戰數合,德威佯輸詐敗,虛架一槍,撥馬便走,晉王高聲大喝:「小賊走那裡去!」飛馬趕下陣來。德威取弓在手,搭箭當弦,盡力射來,喝聲:「老漢看箭!」原來克用眼看得更親切,聽得弓弦響處,其箭已接在手。

  德威見箭射不中晉王,勒回馬來,大叫曰:「老漢我料你會接箭,卻不會射箭。」晉王曰:「吾射的是百步穿楊,倒掛針魚之法,有名九杖連珠箭.豈似汝賊射此無名箭乎?」德威曰:「連珠箭何足為奇,汝能於三百步外,立一面紅旗,旗角上綰著一根金簪,簪上掛一條馬鞭,一箭射去,中金簪上,馬鞭落地,吾便跟汝去洗巢矣!」晉王暗思:「吾今已老,眼目昏花,若射中金簪,名揚天下,倘若不中,卻不將俺清名玷在居延川下。」

  正說間,只見空中一群皂雕飛翔,晉王心生一計曰:「吾不射那死物,吾射那行中第二隻飛雕下來你看。」德威曰:「死物尚不能夠,安能射飛雕乎?果能如此,吾便下馬投降。」

  晉王曰:「這是夷狄地界,射中一雕,你不下馬,誰與你作證?」德威曰:「一言既出,駟馬難追,豈食言乎?」遂向撒袋中取出一箭,折為兩段,汝若射中一雕,吾不下馬,以此為令。」晉王心思:「憑吾手段,射中一雕,亦未可知。」即拽滿雕弓。單射一箭,弓弦響處,雕早落地。宋賢有詩贊云:

    克用英雄蓋世驍,貫雕箭去徹雲霄,

    陣前不必千鈞力,降服紅袍將最高。

  又有詩贊云:

    一箭神威貫碧空,皂雕落地草梢紅,

    三軍未上中原去,先建居延第一功。

  晉王射落飛雕,眾兵齊聲喝采,德威慌忙下馬,納頭便拜。

  德威曰:「大王神箭,古今罕有,臣願從大王以充步卒。」晉王亦慌忙去了弓箭,下馬扶起德威,撫曰:「吾素知敬遠忠義之士,深慕高名,今幸得相從,他日位列封侯,吾當大用。」

  隨令差官取出空頭宣一道,填寫升德威為大唐議國左軍師金牌一面,填寫軍師字號,即日參謀帷幄,運贊軍機,德威頓首拜謝。

  紮了寨營,是夜晉王在帳內,睡臥不安,秉燭觀孫子兵法,自覺神思昏迷,伏几而臥,忽然夢見一隻猛虎,脅生兩翅,飛入帳來。晉王驚懼,隨拔劍在手,望虎砍來。那虎側身躲過,把晉王一爪撲翻,打折左臂。忽然驚覺,乃是南柯一夢,唬出一身冷汗,舉目一觀,帳中燈燭微明,披衣出營,只見月朗風清,正當夜半。晉王自言曰:「此夢不祥,先斷我一臂,明日破巢,不知損折何將?且回帳中,待等天明與眾將試解何如?」遂口占一絕:

    醉睡昏昏心欲醒,那堪怪變使魂驚,

    吉凶渾是無憑准,誰向山中鬼谷明。

  次早升帳,急喚周德威入見,晉王細言夢驚,德威袖占一課,賀曰:「此大吉之兆,主收得一員上將。」晉王曰:「有何應驗?」德威曰:「昔周文王夢一飛熊上殿,次日早朝,令眾臣圓夢,眾臣言此吉兆,可作急收拾打圍,主在圍場中得一飛熊將軍。文王大喜,遂布圍場,到渭水河邊,見一老者,直鉤釣魚,文王問曰:『彎鉤釣魚,尚不可得,汝何直鉤而取魚哉!』老者曰:『大丈夫寧向直中取,不向曲中求。』文王知是賢士,遂問姓名。老者曰:『吾姓姜名尚,道號飛熊,姜呂望是也。』文王便稱為太公,請歸朝內輔政。後文王沒,其子武王,拜為軍師,稱為尚父。興兵伐紂,諸侯不期而會者八百。

  戊午日,兵臨孟津。甲子日,血浸朝歌。破了紂王,成周八百年天下,賴此人之功也。大王不信,有詩為證:

    堤草青青渭水流,子牙向此獨垂鉤,

    當時未入飛熊夢,已對斜陽歎白頭。

  文王之夢,其應如是,今大王之夢,必主收得一員上將,即日大王便可收拾打圍。」程敬思曰:「軍師課數有准,大王當從其說。」晉王從之,即準備鷹犬器械,帶領太保四員,三千人馬前去,程敬思、周德威一同上馬,離了營寨逕到山中,布列圍場,不知有應夢賢士否,且看下回分解。

  逸狂詩曰:

    晉王遊獵網英雄,天意殘唐數未終,

    當日若無飛虎夢,破巢安得勇南公。

  卓吾子評:

  克用一箭而降德成,亦天意未欲亡唐也,飛虎入夢其兆益徵矣!

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