殘唐五代史演義傳第十七回 李存孝、力戦して四将を討ち取る (李存孝力殺四將)
要約
李嗣源は耿彪の鞭を受けて血を吐き逃げた。嗣源が、存孝の謀反ではなく鄧天王の計だったと訴え、周徳威も忠臣と見ると述べたので、晋王は存孝を釈放した。存孝は鄧天王を捕らえて証しにすると言って黄河を渡った。
翌日、存孝が挑むと耿彪が出たが、猿のような腕で生け捕られ、体を二つに折って投げ落とされた。次の張竜は畢燕檛で打ち砕かれ、李虎は渾鉄の槊で即死し、崔受は馬上に引き寄せられて一投げで肉の塊に叩きつぶされた。存孝は敵兵の大半を討って帰り、四将は酒宴で祝って晋王へ使いを立てた。晋王はわが子はまことの英雄だと喜び、徳威の勧めで賞賜を送った。
全軍が恐れおののく中、張権が停兵の計を献じた。三日戦を止め、四日目に一字長蛇陣を布いて破らせ、四十八万で黄河西岸から潼関まで七十二座の連珠陣を連ね、真ん中に誘い込んで代わる代わる挑めば生け捕れるという策である。書状は、勝敗は兵家の常、三日の停戦を乞い四日目に陣を布くゆえ破れば長安を献じると述べ、金統四年三月上浣の日付があった。存孝は、戦で論ずるのは武だけだと返書を拒み、末尾に允の一字を書かせ、使者に、四十八万では足りぬ、長安からもう四十八万連れて来いと伝えさせた。
五日目、存孝は、中央が頭、南が腰、北が尾の一字長蛇陣は三か所を同時に撃たねば破れぬとし、自ら一千で頭を撃ち、四将は二人ずつ一千で腰と尾を撃てと命じた。迎え出た張権は一合もせず存孝の槊に頭を砕かれて落馬し、取り囲んだ四十八員の健将も一撃ごとに倒されてことごとく打ち殺された。四将は賊営に斬り込み、葛従周は逃げ、兵は十のうち八、九が倒れた。この一戦で存孝は猛将五十余員・精兵四十余万を殺し、屍は野に満ち血は河をなした。
存孝は魏南三県と華州華陰を取り潼関に至ったが、残るは四将と十三名の十八騎だけで、潼関を越えて七日七夜斬り進み、糧食は巣の陣営から奪い、敵を覇陵川の向こうまで追った。従周は長安へ入り、存孝もそこが長安と知らぬまま城内へ入ってしまった。一日で四将を討ち長蛇陣を破って長安へ攻め入った存孝は、もはや目に強敵なしであった。
現代語訳全文
李嗣源、耿彪の鞭に敗れる
李嗣源は耿彪と三合わたり合ったが、怒った耿彪が画戟を押し開いて鞭を振るい、「逃げるな」と一喝する。かわしきれなかった嗣源は鞭を受けて血を吐き、馬を返して逃げた。営に戻った耿彪が葛従周に「李嗣源を鞭で打って血を吐かせ、逃がしました」と報じると、従周は「それが一番の手柄だ」と言う。耿彪は「この程度の手柄は百あっても数に入らない。李存孝を生け捕りにしてこそ第一の功だ」と応じた。
存孝の嫌疑が晴れる
敗れて帰陣した李嗣源は晋王を拝して「存孝の謀反ではなく、鄧天王が仕掛けた、敵将を罪に陥れる計でした」と訴えた。周徳威も「存孝は忠臣と見ます」と述べたので、晋王は急ぎ存孝を釈放させた。存孝が叩頭すると晋王は「お前のせいではない。巣賊配下の鄧天王の計略で、危うく英雄を無実のまま殺すところだった」と言う。存孝は「鄧天王を捕らえてまいれば、それが証しになります」と言い、父王に暇を告げて黄河を渡った。
存孝、耿彪・張竜・李虎・崔受を殺す
安休休ら四将が存孝を迎え、これまでの経緯を語り合った。翌日、存孝が敵営前へ出て戦いを挑むと、葛従周の「誰か出る者は」の問いに耿彪が名乗り出て馬を躍らせた。陣前に見た存孝は身の丈七尺に満たず、骨は柴のように痩せ、顔は病人のようであった。耿彪は馬を進めて刀で斬りつける。存孝はその刀を押し開き、猿のような長い腕を伸ばして耿彪を生け捕り、片手で首を、片手で左脚をつかんで馬上に押しつけ、体を二つに折って馬から投げ落とした。そしてなお戦いを挑む。
報告を受けた従周が驚いて次の出陣を募ると、張竜と李虎が進み出て二人で出撃した。張竜は畢燕檛で二つに打ち砕かれ、李虎は槍で突きかかったところを渾鉄の槊で打たれて即死した。従周が「これではどうにもならぬ」と嘆くと、崔受が名乗り出て出陣し、「存孝、大将崔受を知っているか」と叫んで槍を突き出す。存孝は槍を払いのけ、「賊将どこへ行く」と一喝して崔受を馬上に引き寄せ、一投げで肉の塊に叩きつぶした。存孝は敵兵の大半を討って帰陣し、四将に「今日は崔受を投げ殺し、耿彪を折り殺し、張竜を追い詰めて殺し、李虎を撲殺し、敵は兵は逃げ散り将は討ち取られた」と語った。四将は酒宴を設けて祝い、黄河の向こうの晋王へ使いを立てた。
晋王の賞賜
晋王が陣中で周徳威と「存孝は黄河を渡って鄧天王を捕らえに行ったが、勝敗はどうか」と話していると、存孝の遣わした小校が軍情を報じてきた。晋王は帳下に呼び寄せ、「存孝は出陣したか」と尋ねる。小校は「将軍は出陣して立て続けに四将を討ち取り、その後は誰一人出て来ようとしなくなったので、そこでようやく兵を収めて陣営へ帰られました」と復命した。晋王が「四将とは誰か」と問い、小校が姓名を一つずつ細かく挙げると、晋王は「わが子はまことの英雄だ」と大いに喜ぶ。徳威は「この四将を斬ったのは手腕の証し。黄巣を破るのはこの人にかかっています」と言い、さらに「賞賜を下して労をねぎらい、彼らに心を用いて賊を破らせなさい」と進言した。晋王はこれに従い、使者に賞賜を持たせて三軍を改めて慰撫させ、自ら軽々しく営を離れて河を渡り、そちらまで出向いて進攻の策を差配するには及ばぬこととした。小校が戻って報じると、存孝は賜物をすべて兵士に分け与え、使いを黄河の向こうへ帰らせ、四将とともに兵を練って戦備を整えた。
張権の停兵の計
崔受が肉塊にされたと聞いた葛従周の陣は、全軍が魂を飛ばすほど恐れおののいた。そこへ張権が進み出て献策する。「これは停兵の計です。総管が書状をしたため、しかるべき使者に存孝へ届けさせ、三日戦を止めさせる。四日目にまず一字長蛇陣を布いて破らせておき、総管は大兵四十八万を率いて黄河西岸沿いに、魏南三県および華州華陰県まで次々と営を連ね、潼関まで七十二座の連珠陣を布く。あの羊飼い小僧を真ん中に誘い込み、代わる代わる挑戦すれば、いくら全身が手でもそう斬れるものではない。必ず生け捕りにして八つ裂きにしましょう」。従周は「その計なら大功が成る」と喜び、書状を書いて兵二人に持たせた。
「允」の一字の返書
存孝が陣中で四将と酒を飲んでいると、賊将の使者が書状を届けてきた。存孝が通させると、二人は葛総営の使いだと名乗って書状を差し出し、安休休が開いて読み上げた。文面は「大斉総兵官葛従周、大唐飛虎将軍麾下に謹んで拝す」と始まり、勝敗は兵家の常であり、先日将軍が崔受を沙場に叩きつけ耿彪を馬下に捕らえ、張竜・李虎も相次いで死んだために士卒は皆胆を潰したと述べる。黄河のほとりに兵を屯しては布陣に不便なので、蓋世の英雄たる将軍には三日の停戦を乞い、四日目に陣を布くゆえ、これを破れば長安を献上して末端の兵卒に甘んじる、早々に返書を賜りたい、という内容で、末尾に金統四年三月上浣の日付と従周の名が記されていた。
安休休が読み終えて「葛従周の文言は思い上がっている。返書を書きましょう」と言うと、存孝は「戦のさなかに論ずるのは武だけだ。誰が文を論ずるか。返書など要らぬ。書の末尾に『允』の一字を書けばよい」と答えた。安休休は「太保の見識はもっともです」と言う。存孝は使者に「お前の営には将が何百、兵が何百万いる」と尋ね、使者は「将は四百余員、兵は四十八万」と答えた。存孝は「帰って葛従周に伝えよ。その程度の軍将ではわしが斬るのに足りぬ。長安からもう四十八万連れて来い。片甲も残さず斬らねば大丈夫とは言わぬ、とな」と言い渡した。使者は「允」と記された原書を持ち帰り、存孝の言葉を細かく伝えた。従周は張権に「計が成らねば長安へ引き返すほかない」と漏らしたが、張権は「存孝はただ勇だけの男で陣法を知らぬ。必ず擒にできます」と言い、従周はそれに従った。
一字長蛇陣を破る
翌日から兵を出し、三日がかりで一字長蛇陣を布き終えた。布陣完了の報を得て、五日目に存孝は四将とともに武装して陣前に至る。槍刀戈戟が高低に並び、旗幟や鉦太鼓は整然として鉄桶のようであった。存孝はひととおり見終えると諸将に「お前たちはこの陣が分かるか」と尋ね、続けて「この陣は理にかなって布かれている。中央が蛇の頭、南が蛇の腰、北が蛇の尾で、名を一字長蛇陣、またの名を兔守三穴陣という」と説明した。四将が兔守三穴の意味を問うと、存孝は「頭を撃てば腰と尾が応じ、腰を撃てば頭と尾が応じ、尾を撃てば頭と腰が応ずる。三か所を同時に撃ってこそ破れる。わしは自ら一千を率いて頭を撃つ。お前たち四将は二人ずつ一千を率いて腰と尾を撃て。三隊は互いに救援し合え」と命じた。
存孝が陣頭へ攻めかかると一騎が迎え出る。存孝が「来る将は誰だ」と問うと「われは大将張権」と答え、張権が名を問うと存孝は「大唐飛虎将軍李存孝だ、まだ名を知らぬのか」と返した。怒った張権は斧で斬りつけたが、一合も戦わぬうちに存孝の槊の一撃を受け、頭を粉々に砕かれて落馬した。陣中の四十八員の健将は張権の落馬を見て一斉に喊声を上げ、存孝を取り囲む。存孝は少しも恐れず左右に突き進み、一撃ごとに一将を倒して四十八員をことごとく打ち殺した。薛鉄山・賀黒虎・薛鴉灘・安休休の四将は陣が破れて賊兵が乱れたのを見て、二隊の軍馬を一つに合わせ、そのまま賊営に斬り込む。不意を突かれた葛従周はあわてて馬に乗って逃げ、残る兵卒は十のうち八、九まで倒れ、わずかな兵が従周とともに長安へ逃げ込んだ。この一戦で存孝は猛将五十余員・精兵四十余万を殺し、残る者もことごとく潰え散って、屍は野に満ち、血は河をなした。二隊が長蛇陣へ斬り込む有様を、大将は人馬もろとも、小卒は甲を棄て槍を投げ出す惨状として、鞭は金兜に当たって頭の天辺まで粉々に砕き、鉄の棒は鉄甲を破って毛も骨も肉もことごとく引き裂き、渾鉄の槊は蛟竜の爪、畢燕檛は羊を襲う猛虎のようだと韻文が描き、愁雲は黯々と垂れこめて屍が野に横たわり、怨気は騰々と立ちのぼって血が衣を染める、長蛇の一陣がもとで身内から禍が起こったのだと結ぶ(詩:長蛇の陣)。そして長安へ斬り込んで敵なく、天が巣賊を滅ぼすのだと結句が添えられる(詩:天が巣賊を滅ぼす)。
十八騎で長安へ
存孝はただちに魏南三県を取り、華州華陰を奪い、潼関に至った。振り返ると三隊の人馬はどこにも見えない。「味方はどれほど残っている」と問うと、四将は「わずか十三名、我ら五人を合わせて十八騎です」と答えた。存孝は「この十三名の小兵も、わしと兄弟同然の好漢だ」と言い、潼関を越えて覇陵川まで斬り進んだ。七日七夜戦い続け、腹が減った存孝は巣の陣営に斬り込んで糧食を奪い、十八騎を養いながら巣兵を追い立てて、逃げる敵に馬の蹄を止める間も与えぬまま、そのまま覇陵川の向こうまで追い越えた。葛従周は「張権めがこの大禍を招いた」と恨みつつ大軍を率いて長安に至り、兵に急ぎ城内へ入るよう命じた。李存孝もまた、そのまま長安城内へ入ってしまった。
存孝はそこが長安とは知らなかった。知っていれば、趙雲ほどの肝を持つ者でもこの城へ追い入ろうとはしなかったであろう。この先どうなるかは、次回に語られる。張権の計は凡庸であり存孝の勇は当たるべからず、一字長蛇を突き破った今、永豊倉の焼き打ちを見よ、と結ばれる(詩:永豊倉の焼き打ち)。
評語
存孝はただ一日で耿彪・崔受・張竜・李虎の四将を討ち、続いて長蛇陣を破って将五十余員・精兵四十余万を殺し、さらに単騎のまま追撃して長安城内へ攻め入った。もはや目に強敵なしというべきである。
原文(底本)
卻說李嗣源與耿彪鬥上三合,耿彪大怒,取鞭在手,逼開畫戟,喝聲:「休走!」嗣源躲身不及,中了一鞭,吐血逃走。 耿彪回營,來見葛從周說:「小將出馬,正遇著李嗣源,被我一鞭,打得吐血,撥馬走了。」從周說:「這是你的頭功。」 耿彪說:「這樣功,一百件也不算,只待活捉了李存孝,才是頭功。」卻說李嗣源敗走回營,望父王拜曰:「真個不是存孝造反,乃是鄧天王定此犯將計。」德威說:「我觀存孝,是個忠臣。」晉王急叫放了存孝。存孝望父王叩頭,晉王說:「不干你事,是巢賊部下鄧天王定此計,險些屈殺了英雄。」存孝曰:「兒去拿得鄧天王來,方見是實。」拜辭父王,經過黃河。 卻說安休休四將,接著存孝,將前事問答一番。次日,存孝領兵到營前索戰,葛從周問曰:「誰敢出馬?」耿彪道:「小將願去出馬對陣。」即時躍馬出營來,到陣前,只見存孝身不滿七尺,骨瘦如柴,臉似病夫,拍馬輪刀就砍,被存孝逼開刀,展猿臂,活拿耿彪過馬來,一手攥著脖子,一手拿著左腿,按在馬上,曲做兩截,摔下馬來,又來索戰。軍士報與從周說:「耿彪被存孝拿去,曲做兩截。」從周大驚問:「誰敢再去對陣?」張龍、李虎向前進曰:「二將願往!」領兵出營,拍馬輪刀,望存孝砍來,被存孝舉起畢燕檛,把張龍打成兩段,李虎挺槍就刺,被存孝渾鐵搠起處,登時打死,又來索戰。從周大驚曰:「似此怎了!」又閃出崔受向前曰:「小將願往!」 遂領兵出營,躍馬向前,高叫:「存孝認得大將崔受麼?」拍馬拈槍就刺,被存孝逼開槍,大喝一聲:「賊將走哪裡去?」 卻把崔受拿過馬來,只一摔,摔做一塊肉泥。殺軍大半,撥馬回營,四將接著,且問勝負若何?存孝說:「今日這一去,摔死崔受,曲死耿彪,逼死張龍,打死李虎,殺得他兵逃將喪。」四將一面安排酒席,與存孝賀功,十分欣喜;-面差人過黃河,報與晉王知之。 且說晉王在帳中,與德威商議曰:「存孝過黃河,去擒鄧天王,未知勝負如何?」正話間,忽報存孝差一小校飛報軍情。 晉王喚至帳下,問曰:「存孝曾出陣否?」小校曰:「將軍出陣,連殺四將,至後無人敢出,方始收兵回寨。」晉王問曰:「四將是誰?」小校將姓名逐一細說一遍。晉王聽罷大喜曰:「吾兒果是英雄!」德威曰:「殺此四將,足顯手段,破黃巢在此人身上。」又曰:「可頒賞賜勞慰,令他們用心破賊。」 晉王從議,差人齎送賞賜,再撫三軍,不必輕自離營過河來此提調進攻之策。小校依命,回至本營,報存孝曰:「大王不勝之喜,今差人齎送賞賜來此,現在營外。」存孝即將賜賞給散軍士,吩咐軍人,過河回報。遂與四將練兵,整備廝殺,不在話下。卻說軍士報與從周曰:「崔受被他拿去,摔做一塊肉泥!」把滿營軍士,唬得魂飛天外,魄落重泉。下面閃出一將張權向前稟曰:「小將有一計,願獻麾下。」從周曰:「有何計?」張權曰:「我這計是停兵計。總管可寫一封書,差個的當軍人,送與存孝,叫他停兵三日不戰。第四日,先布一個長蛇陣與他破,總管領大兵四十八萬順黃河西岸,接次魏南三縣及華州華陰縣安營,直抵潼關,布下七十二座連珠陣,把這牧羊子賺到中間,輪流挑戰,他渾身是手,能砍得許多,務要生擒這賊,碎屍萬段!」葛從周曰:「此計可成大功!」急寫了書,差兩個軍士送去。 卻說存孝在帳中,正與四將飲酒,把營哨軍報云:「賊將差人下書。」存孝叫軍士放他進來,二人稟曰:「小的是葛總營差來下書的。」將書呈上,存孝叫安休休開看,安休休念云: 大齊總兵官葛從周端肅書拜大唐飛虎將軍麾下: 僕聞勝敗兵家之常事,兩軍相鬥,未必全捷。昨者,將軍摔崔受於沙場,抾耿彪於馬下,張龍、李虎相繼而亡,士卒一聞,靡不喪膽。且屯兵於黃河左右,佈陣深為不便,將軍既為蓋壤英雄,乞停兵三日,姑待第四日,布成陣勢,將軍如破得此陣,某等即獻長安,甘為末卒。如蒙輕揮彩穎,早賜批回,則將軍寬洪之量,不淺小也!某臨書不勝冰兢之至。金統四年三月,上浣從周再拜。 安休休讀罷,謂存孝曰:「葛從周書詞狂妄,可作一書回他。」存孝曰:「征戰之際,只是論武,誰來論文?要回書則甚!只就書尾,寫批『允』一字便是。」安休休曰:「太保所見極當。存孝喚來將問曰:「爾營中,將有幾百員,軍有幾百萬。」來將曰:「我營中,將有四百餘員,軍有四十八萬。」 存孝曰:「爾去回葛從周,這些軍將,卻不夠我殺,叫他再去長安,領四十八萬軍來,不殺得他片甲無回,誓不為大丈夫!」來將領諾,回覆從周,呈上批允原書,將存孝所言,細說一遍。從周聽罷,謂張權曰:「計若不成,莫若走回長安。」權曰:「存孝一勇之夫,不諳陣法,擒此人必矣!」從周依言。 次日,領兵出營,一連三日,布成一字長蛇陣。且說存孝與四將,俟期打陣,探馬飛報,佈陣已完。第五日,存孝領四將,披掛上馬,統兵直至陣前一看,只見槍刀戈戟,高高下下,旗幡金鼓,整整齊齊,猶如鐵桶一般。存孝看畢,問眾將曰:「爾等識此陣否?這陣布得有理,居中布著蛇頭,南首布著蛇腰,北首布著蛇尾,名為一字長蛇陣,又名兔守三穴陣。」四將曰:「何為兔守三穴。」存孝曰:「若先擊頭,則腰尾應,若先擊腰,則頭尾俱應,若先擊尾,則頭腰俱應,必須三處俱擊,方能破得。吾白領軍一千擊頭,爾四將每二人領軍一千,去擊腰尾,三支軍馬,務宜互相救應。」 吩咐已畢,存孝領軍,直從陣頭擊來,當先一馬迎住,存孝問曰:「來將是誰?」答曰:「吾乃大將張權。」權問曰:「爾乃何名?」存孝曰:「大唐飛虎將軍李存孝,爾尚不知名耶!」權大怒,拍馬輪斧便砍,戰不一合,被存孝一搠,打得頭如粉碎,翻落馬下。陣中四十八員健將,見張權落馬,大喊一聲,一齊躍馬直逼存孝,團團圍定。存孝全無懼怯,左衝右突,一搠一將,把四十八員健將盡數打死。薛鐵山、賀黑虎、薛鴉灘、安休休四將,望見陣勢已破,賊兵散亂,招集兩支軍馬,合為一處,直殺入賊營。賊措手不及,葛從周慌忙上馬奔逃,其餘兵卒十傷八九,剩得些小卒,各自逃生,俱與從周逕奔長安內去。這一陣,存孝殺了猛將五十餘員,精兵四十餘萬,盡皆潰散,屍橫遍野,血流成河。那兩支兵殺入長蛇陣,怎見得?但見他: 殺大將,連人帶馬;追小卒,棄甲丟槍。鞭中金盔,腦頂天庭俱粉碎;簡傷鐵甲,毫毛骨肉盡分張。渾鐵搠動搖,恰似蛟龍現爪;畢燕檛舉起,猶如猛虎攢羊。愁雲黯黯屍橫野,怨氣騰騰血染常只為長蛇一陣,惹得禍起蕭牆。正是,殺入長安無敵手,天叫巢賊一時亡。 即時取了魏南三縣,奪了華州華陰,逕到潼關。存孝回頭看,三處人馬,俱沒有了。存孝問:「我軍人馬還有多少?」 四將答曰:「只有十三名,連我五個,共有一十八騎。」存孝道:「這十三名小軍,也和我似兄弟一般好漢!且過潼關去看,逕殺到霸陵川。」殺了七日七夜,存孝肚中饑餓,殺到巢營,搶些糧食,接濟這十八騎人馬,趕得巢兵,馬不停蹄,逕趕過霸陵川。葛從周怨道:「張權這賊,惹出這場大禍!」大軍來到長安,葛從周叫軍士快進長安城。時李存孝亦進長安城來了。 存孝原來不知是長安,若知是長安,縱有趙雲包身大膽,決不敢趕進此城。欲知後事如何,且看下回分解。有詩為證: 張權詭計縱尋常,存孝英雄不可當, 一字長蛇衝破了,佇看燒燬永豐倉。 卓吾子評: 存孝一日殺耿彪、崔受、張龍、李虎四將,續破長蛇陣,殺將五十餘員,精兵四十餘萬,而又單騎直追入長安,可謂目無勁敵矣!
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