殘唐五代史演義傳第二十六回 朱温、剣を抜いて王鐸を脅す (朱溫掣劍挾王鐸)

要約

朱温は計を採り、楊彦洪を泥脱崗へ遣わして旧交を語り合いたいと伝えさせ、王鐸は疑わず入城した。酒宴で彦洪が世子と玉小姐の縁組を切り出す。王鐸が、娘はすでに同台節度使岳彦真の子に許してあると断ると、朱温は剣を抜き、三度言って承知せぬなら帰る門はないと凄んだ。王鐸は吉日を選んで娘を送ると折れ、朱温は戯れだと言って金銀十錠を聘礼とし、弟の朱義と子の友珍を滄州へ嫁取りに遣わした。

滄州で憂える王鐸に夫人の卓氏は、次第を明かした書状を同台の岳家へ走らせ、兵を出すなら奪い取らせ、出さぬなら朱温に娶らせればよいと勧め、王鐸は密かに使者を走らせた。岳存訓は、秦晋の盟を交わした以上すでに我が妻だ、奸雄に奪われては面目がないと憤り、滄州へ直行して奪い返すと言い、彦真は許した。

先鋒には、身の丈八尺で両耳が肩まで垂れた徐州沛邑の沙陀の人、劉皓、字は知遠が名乗り出、十八般の武芸に通じると言うので任じられ、黄驃馬と二千の人馬を授けられた。双関路口に至ると知遠は、二本の大路がともに汴梁に通じるから両方に伏せると言い、自分が千五百で大路、存訓が千五百で小路に伏せて砲声を合図に後ろから斬り込む段取りを決め、存訓は剣を授けて命令に服さぬ者は斬れと言い渡した。

王鐸は娘を香車に乗せ、自ら百十余里見送って別れた。友珍と朱義は娘の美しさに喜んだが、二十余里で友珍の玉面馬が轡を引きちぎり、朱義は旧きを去って新しきに改める兆だと答えた。そこへ知遠が道を遮り、小姐を置けば命は助けると大喝した。朱義は逃げ、恨みもないのになぜ塞ぐと言う友珍に、知遠は人の妻を奪ったのだと答え、数合で友珍を一刀で馬下に斬り落とした。岳存訓が後陣から斬り込んで香車を奪い返し、小姐を連れて同台へ帰った。朱義の報告を聞いた朱温は一声叫んで気を失った。

現代語訳全文

王鐸の招き入れ

朱温はこの計を採り、楊彦洪を使者として泥脱崗の王鐸のもとへ遣わした。挨拶が済むと王鐸が来意を問う。彦洪は、大人が朝賀から戻られた道中と聞き、我が梁王が昔の交わりを懐かしんで、入城してしばらくの無沙汰を語り合いたいと特に自分を遣わされたのだと答えた。王鐸は喜んで承知し、馬に乗って城へ入った。朱温と王鐸は対面して旧情を語り合い、少しも疑うところがなかった。

剣を抜いての逼婚

酒がほろ酔いになった頃、楊彦洪が切り出した。我が主には世子があり、聡明でひときわ優れ、容貌も堂々としている。大人には玉小姐という令嬢があり、年もちょうど及笄で嫁ぐべき時と聞く。自分が仲立ちして両家に秦晋の好を結び、後日ともに力を合わせて賊を破り帝室を支えたい。これこそ美事であるからお考えいただきたい、と。王鐸は、美事ではあるが話が遅かった、娘はすでに同台節度使の岳彦真の子に許してあると答えた。言い終わらぬうちに朱温が剣を抜き、顔色を変えて、我が子を婿にするのがそなたの恥辱になるものか、三度言って承知せぬなら、来る道はあっても帰る門はないぞと凄んだ。王鐸は、大王お怒りを鎮められよ、寒微を厭われぬならば、近いうちに吉日を選んで娘を府へ送りましょうと折れた。朱温は剣を地に投げ捨て、剣を抜いて驚かせたのは何の下心もない戯れだ、令嬢を許されてこの上なく嬉しいと言い、金銀十錠を聘礼とし、弟の朱義と子の友珍を王鐸とともに滄州へ嫁取りに遣わした。

卓氏の献策

二人は汴梁を離れて滄州に着いた。王鐸は二人を館駅に泊まらせ、自分は屋敷に帰った。夫人の卓氏が出迎えたが、王鐸の眉は開かず憂いの色があるので、卓氏が理由を尋ねた。王鐸は、世間では娘を持つのは良いことだというが、自分は今その煩わしさを背負ったと嘆き、昨日朝賀から帰る途中に汴梁を通り、朱温に騙されて城へ入れられ、酒宴の席で剣を抜いて脅され、娘を世子の妻に寄越せと迫られた、賊の勢いが大きいので許すよりほかなかった、今その朱友珍が駅に滞在して日を選んで迎えようとしている、進退きわまって決しかねているのだと語った。卓氏は笑って、何の難しいことがありましょう、急いで書状を一通したため、この次第を明かして人を同台の岳家へ走らせなさい、あちらに勇兵猛将があるなら一軍を率いて奪い取ればよいし、兵を出さぬなら朱温に娶らせればよい、一つには児女の縁は前世から定まったもの、二つには両家から怨まれるのを避けられますと勧めた。王鐸は善い言だと納得し、一方で友珍ら二人をもてなしつつ、一方で書状をしたためて密かに使者を夜通し同台へ走らせた。

岳彦真への書状

岳彦真は子の存訓とともに広間で兵法を講じていたところへ、王鐸の使いが書状を持参した。書状は、僖宗の崩御と太子の即位に伴い朝賀に赴き、長安からの帰路が汴梁を通ったため泥脱崗まで来たところ、逆賊朱温が弟を遣わして旧交を温めたいと偽り、はじめから不仁の心を懐いていて、酒が数巡もせぬうちに娘の縁談を持ち出した、事情を明かして断ると朱温は剣を投げ捨てて衣を引きとめ、猛悪な本性を現したので、断りきれず偽って承知した、その弟朱義と子友珍が滄州まで嫁取りに随って来たのでしばらく日延べしてある、本来は兵を挙げて決戦したいが将は少なく兵も乏しい、もし一軍の助勢を賜れば戦って賊を一挙に擒にできる、こちらは計も尽き志も拙いので高明の裁量に頼む、即刻の御出陣を願うという趣旨であった。

存訓の出兵と劉知遠の起用

彦真が存訓に意見を問うと、存訓は、そんな道理があろうか、夫婦は人倫の大綱であり秦晋の盟を交わした以上すでに我が妻である、どうして他人に嫁がせられよう、奸雄に奪われては何の面目あって人と語れようかと憤った。彦真が、志は大きいが賊に敵する策はあるのかと問うと、存訓は、一隊の人馬を率いて滄州へ直行し行く手を遮って必ず奪い返すと答え、彦真は許した。存訓が先鋒となる将を選んでほしいと願うと、一人が進み出て、不才ながら犬馬の労を尽くし、公子とともに兵を率いて朱義らを生け捕りにして献上したいと申し出た。彦真はこれを見て大いに喜んだ。静軒先生は、ほのかに君王の相をたたえ、堂々たる帝主の容貌で、薄雲うすもやの中に動けば青竜の姿が顕れると詠じている(詩:帝王の相)。この人は身の丈八尺、両耳が肩まで垂れ、徐州沛邑の沙陀の人で、姓は劉、名は皓、字は知遠といった。彦真が何の能があってこの職を引き受けるのかと問うと、知遠は幼い頃から十八般の武芸を学んで通じぬものはないと答えた。彦真は知遠を先鋒に任じた。知遠は装具を一揃い身に着けたが、良馬だけが足りない。彦真が厩の第一の馬を引いて来させると、関西の男が牽いてきたのは、体は炭火のようで眼は鑾鈴のような馬であった。彦真がこの馬を知っているかと問うと、知遠は黄驃馬ではないかと答え、その通りだと言われて鞍ごと賜り、さらに二千の人馬を率いることとなった。

双関路口の伏兵の手配

進軍の途中、物見が滄州の双関路口に着いたと報じた。劉知遠は馬上で存訓と相談し、ここは二本の大路がどちらも汴梁に通じているから両方に伏せねば賊を捕らえられぬ、自分は千五百の兵で大路に伏せ、公子は千五百の兵で小路に伏せられよ、賊が大路から来れば自分が受け止めて戦うから、砲声一発を合図に後ろへ回って斬り込んでいただきたい、小路から来れば公子が食い止められよ、自分も砲声を合図に後ろから斬り込むと段取りを決めた。存訓はこの計に従い、剣を抜いて知遠に授け、諸将で命令に服さぬ者があれば斬首して衆に示せと言い渡した。知遠は剣を受け取り、兵を二手に分けてそれぞれ伏せた。

香車の出立と不吉の兆し

王鐶が父に、岳存訓の人馬が来て滄州から遠くないと報じた。王鐸は娘に化粧させて香車に乗せ、嫁入り道具を整え、自ら百十余里も見送って朱友珍とともに滄州を出、王鐸父子はそこで一行と別れて帰った。友珍と叔父は車中の娘が絶世の美しさなのを覗き見て喜びを抑えられず、前後を数十人が固めて進んだ。二十余里も行かぬうちに、友珍の乗る玉面馬が突然いなないて暴れ、轡を引きちぎった。友珍が叔父に轡が切れたのは何の兆かと問うと、朱義は、甥が新たに嫁を迎え、旧きを去って新しきに改める兆だと答え、友珍は叔父の見立てはさすがだと喜んだ。

劉知遠、朱友珍を斬る

言い終わらぬうちに砂塵が舞い上がり、一隊の人馬が現れた。先頭の将は濃い眉に大きな眼、漆のような髪に童顔、相貌は堂々として威風凜々、黄驃馬に跨がり安漢刀を手にしていた(詩:先鋒の容姿)。知遠は道を遮って、逆賊の子め、ここで久しく待っていた、小姐を置いていけば命は助けてやる、あくまで迷うなら決して容赦せぬと大喝した。朱義はこれを聞くと慌てて逃げ出した。友珍は真っ先に馬を進め、来る将は何という名かと問う。知遠は、自分は沛邑の劉知遠だと名乗った。友珍が、汝とは何の恨みもないのになぜ道を塞ぐのかと言うと、知遠は、汝は不仁にも人の妻を奪ったのだと答えた。友珍は激怒して馬を躍らせ槍で突きかかったが、数合も戦わぬうちに知遠が大喝一声、友珍は手も出せぬまま一刀で馬下に斬り落とされた。残る者は四散して各々逃げ去った。強きを恃み勢いに任せて人の妻を奪っても天理は明らかで欺けない、不運にも英雄劉知遠に出会い、友珍は一瞬で命を落としたと詠ずる(詩:天理昭昭)。岳存訓が後陣から斬り込んで来て、二人は兵を合わせて香車を奪い返し、小姐を連れて同台へ帰った。

朱温の昏倒

朱義は敗残の兵を率いて朱温のもとに帰った。朱温が縁談はどうなったと問うと、朱義は、友珍が滄州に着くと王鐸は香車を用意して小姐を境まで送り出したが、数里行ったところで大道に一隊の人馬が現れ、先頭の将は沛邑の人で姓は劉、名は皓、字は知遠といい、岳彦真配下の驍将であった、その者が刀を振るって友珍を斬り殺し、小姐を奪って同台へ去った、自分たち兵は各々逃げ延びたのだと報告した。朱温は一声大きく叫ぶと、気を失って地に倒れた。その命がどうなるかは、次回に語られる。

評語

卓吾子曰く、朱温は上を欺いて私を行い、暴虐を恣にし、計略で王鐸を招いて酒席で婚を強いた。もし劉知遠が途中で遮らなければ、存訓の縁組は成らなかったであろう。友珍が命を落としたのも道理の然らしむるところである。

原文(底本)
朱溫遂用其謀,便遣楊彥洪為使,投泥脫崗來見王鐸,禮畢,鐸曰:「此來何意?」彥洪曰:「大人朝回,吾梁王思想昔日交契,特遣某來敦請入城,聊敘間闊。」王鐸聽言,欣然應允,上馬入城。溫與鋒相見已畢,各訴舊日之情,並無猜疑。

  酒至半酣,楊彥洪曰:「某有一言,訴與大人,幸垂清聽。吾主有一世子,聰明特達,穎質魁梧;某聞大人有令愛玉小姐,年方及笄,正求宜家之日,某欲濫為作伐,講二姓秦晉之好,他日同力破賊,共扶帝室。此誠美事,請大人思之。」王鐸曰:「此雖美事,奈何說遲了,小女已許同臺節度使岳彥真之子矣!」言未絕,朱溫拔劍在手,勃然變色曰:「吾子為婿,豈辱汝哉!若說三聲不允,叫你來時有路,去時無門。」鐸曰:「大王息怒,若不棄寒微,早晚選一吉辰,送至府中。」溫遂擲劍於地曰:「吾拔劍驚汝,特無心嬉戲耳!既以令愛見許,使吾不勝欣躍。」遂將金銀十錠,權為聘禮,遣弟朱義、子友珍,同王鐸逕上滄州親迎。

  二人離了汴梁,直抵滄州,王鐸請二人館驛權住,自回府來。夫人卓氏接見,彼此禮畢,但見王鐸眉頭不展,臉帶憂容,未知何意。卓氏遂問其故。鐸曰:「人道養女好,我今受煩惱。

  昨日朝賀回來,路經汴梁,被朱溫賺我入城,飲酒中間,拔劍挾吾,要吾女與彼世子為妻。此賊勢大,只得許之。今朱友珍現在驛中,選日親迎,事在兩難之間,無計可決,故有憂色。」卓氏笑曰:「有何難處?可急修書一封。明說此事,遣人逕上同臺報知岳家,彼若有勇兵猛將,可領一支軍來奪去;若不舉兵,便與朱溫娶去何如?一則兒女緣分前定,二則可免兩家報怨於我。」鐸曰:「善哉此言!」一面款待友珍二人,一面修書密遣人星夜送至同臺。

  卻說岳彥真與子存訓,正在廳上講武,忽報王鐸遣人送書來到,隨即召人,將書呈上。彥真拆書視之。書曰:

    滄州辱眷生王鐸,端肅百拜大總戎尊姻家岳老大人麾下,久懷鬥仰,愧之候私,此心歉甚。昨緣僖宗晏駕,太子登基,僕不無朝賀之禮。如長安路由汴梁,回至泥脫崗,詎意逆賊朱溫,詐說遣弟請敘,預懷不仁,酒未數巡,講以小女姻事。僕具情告白,溫投劍牽衣,梟心頓起,情出難辭,是以詐允,遂命其弟朱義、子友珍隨至滄州,親迎佳偶,只得暫留一辰。本欲興師決戰,奈何將寡兵微,不揣於冒,敢為尊姻家告,倘蒙助一旅之師,則彼此交兵,賊可一鼓而擒矣!僕計窮志拙,惟高明酌之裁之。臨筆無任冰競,幸臺即時雷動。即日,鐸再頓首。

  彥真看罷其書,謂存訓曰:「汝意若何?」存訓曰:「焉有此理?夫婦乃人倫之大綱,既有秦晉之盟,便是吾妻,安肯使事他人?若被奸雄奪去,有何面目再與他人談論?」彥真曰:「汝志則大,但不知有何策以敵此賊?」存訓曰:「吾領一支人馬,直抵滄州,攔截去路,務要奪回,方遂吾願。」彥真許之。存訓曰:「乞選一將,以為先鋒,前去滄州破賊。」

  一人挺身出曰:「某雖不才,願施犬馬之勞,同公子領兵前去,生擒朱義等,獻於麾下。」彥真視之大喜。此人是誰,靜軒先生有詩為證:

    隱隱君王相,堂堂帝主容,殘雲薄霧裡,行動顯青龍。

  此人身長八尺,兩耳垂肩,乃是徐州沛邑沙陀人也,姓劉名皓表字知遠。彥真曰:「汝有何能,敢領此職?」知遠曰:「自幼曾習一十八般武藝,無所不通。」彥真遂命知遠為先鋒,於是披掛全副,只少一騎駿馬。彥真謂左右曰:「可往廄中選第一騎來!」須臾,使關西漢帶過馬來。但見,那馬身如炭火,眼似鑾鈴。彥真指曰:「汝識此馬否?」知遠曰:「莫非黃驃馬乎?」彥真曰:「然也!」即連鞍賜之,更率領二千人馬前往。正行間,哨馬報曰:「已到滄州雙關路口。」劉知遠在馬上與存訓商議:「此處兩條大路,皆通汴梁,必須兩下埋伏,才好擒賊,吾領一千五百兵,在大路埋伏,公子領一千五百兵,在小路埋伏。倘那賊從大路上來,吾便接住廝殺,公子聽吾一聲炮響,你便領兵抄後殺來;若從小路上來,公子擋住,我也只聽炮響為號,從後殺至。」存訓依計而行,乃拔劍付與知遠曰:「但有諸將不服調用者,斬首示眾!」知遠受劍訖,即分兵兩路,各自前去埋伏,不在話下。

  卻說王鐶回報其父說:「岳存訓人馬到來,離滄州不遠。」王鐸遂命其女梳裝,上了香車,更打疊妝奩,親送百十餘里,與朱友珍出了滄州,王鐸父子相別而歸。卻說友珍叔姪,窺見車上女子,果有國色,二人不勝之喜,前遮後擁,數十人相隨,行不到二十餘里,忽然友珍坐下玉面馬,咆哮嘶喊,裂斷轡頭。

  友珍問其叔曰:「馬斷轡頭若何?」義曰:「乃吾姪新娶,去舊更新之兆也。」友珍曰:「叔父所見甚明。」言尤未絕,只見塵埃起處,一彪人馬到來。為首一將:

    濃眉大眼,漆發童顏,相貌堂堂,威風凜凜,坐下黃驃馬,手持安漢刀。

  知遠截阻去路,厲聲大罵曰:「逆賊子,我在此等久,好將小姐留下,饒你性命,如或執迷,決無干休!」朱義聽得此言,荒自逃走。友珍一馬當先,問曰:「來將何名?」知遠答曰:「吾乃沛邑劉知遠是也。」友珍曰:「吾與汝無仇,緣何阻我去路?」知遠曰:「汝乃不仁,奪人妻子。」友珍大怒,躍馬挺槍,直取知遠,兩馬相交,戰不數合,知遠大喝一聲,友珍措手不及,被知遠一刀斬於馬下,餘眾四散,各自逃生。

  有詩為證:

    倚強挾勢奪人妻,天理昭昭不可欺,

    冤遇英雄劉知遠,友珍一命喪須臾。

  岳存訓從後陣殺來,二人合兵搶奪香車,隨領小姐,逕上同臺去了。

  卻說朱義,引敗殘人馬,還見朱溫,溫問:「親事若何?」義曰:「友珍去至滄州,王鐸安排香車,即將小姐送出界口,行有數里之地,只見大道上,閃出一支人馬,為首一將,乃沛邑人也,姓劉名皓字知遠,此人是岳彥真部下驍將,輪刀砍殺友珍,搶奪小姐,逕上同臺去了。吾與眾兵,各自逃生。」朱溫大叫一聲,昏絕於地。未知性命如何,且聽下回分解。

  卓吾子評:

  朱溫罔上行私,恣肆暴虐,計邀王鐸,酒次逼婚。若非知遠中途截住,則存訓姻媾不成矣!友珍喪命,亦理數然耳!

訳文の誤りにお気づきの場合はお問い合わせからお知らせください。

© 好古刊行会