殘唐五代史演義傳第三十一回 存孝、病をおして高思継を捕らえる (存孝病挾高思繼)

要約

李嗣源は敗れて薛阿檀の救援で城内へ退き門を閉ざした。高思継は朝夕城外で挑むが、存孝は病んで起き上がれない。晋王は薬を煎じて康君利と李存信に届けさせ、高思継を豪傑などと言えば存孝が怒って病が長引くから交戦していないとだけ言えと命じた。だが君利は、晋王は同じ太保のうち羊飼いあがりの存孝だけを偏愛すると存信に持ちかけ、かえって思継を豪傑だと告げて怒り死にさせようと誘い、存信も応じた。

病床の存孝に君利は、新たに来た高思継は赫連鐸の部下で、背の飛刀二十四把は百歩先を外さず渾鉄の槍に万夫不当の勇があり、七十二陣を破り、今日は晋王の五百家将と十二太保も大半を破られた、世の英雄はこの男ひとりだと語った。存孝は無念だと叫び誓ってこの賊を討つと言い、激怒の汗が噴き出して病はかえって癒えた。五名馬に甲冑で乗り数百騎で出ると、陣門で罵る思継に勇南公を見知るかと呼びかけ、十余合で槍を押しのけて大喝し、思継を摘まみ上げて鞍上へ引き取り賓州城へ乗り入れた。五侯の人馬は本拠へ逃げ帰った。

晋王は思継を斬れと命じたが、存孝が配下に望んで許された。思継は命を使う気はないと涙し、山東で犂を手に悪を改め善に従うと言うので、存孝は縄を解き衣服と酒肉と馬を与えて送り出した。逸狂は義によって高郎を釈したこの日を讃える絶句を作った。

晋王は後宮で喜び、劉妃に経緯を語った。劉妃は、黄巣を滅ぼして唐室の天下を回復した存孝に報いて沁州を封じよと勧め、晋王も同意し、富饒で魚米の郷の沁州へ封じて鎮守させると告げた。存孝は辞退したが、兵二万と副将六員を率いて即日赴任せよと押し切られ任に就いた。これを嫉んだ二人は翌日狩りを口実に沁州へ行き、晋王は酒色に耽って諫めた大将の呼延を斬り、義子はもとの姓に戻れと命じた、お前の本名は安景思だと偽った。存孝が死んでも姓は返さぬと言うと、存信は父王の令剣を示し、従わねば首を斬れとの仰せだと迫った。

現代語訳全文

晋王の口止め

李嗣源は一戦に敗れ、薛阿檀の救援を得て城内へ退き、門を固く閉ざして出なくなった。高思継は朝夕城外で戦いを挑むが、存孝は病んで起き上がれない。晋王は自ら薬を煎じ、康君利と李存信の二人に持たせて存孝の陣へ届けさせた。そのとき晋王は二人に、もし存孝が尋ねたら「まだ敵と戦ってはいない」とだけ言え、高思継が豪傑だなどと言えば必ず存孝を怒らせ、病が治りにくくなる、と言い含めた。二人は命を受けて出て行った。

康君利・李存信の悪意

その日、康君利は存信に向かって、あの老人は人の使い方が偏っている、みな同じ太保でありながら、あの羊飼いあがりひとりだけを偏愛する、いっそ先回りして存孝に思継が豪傑だと言い、この賊を怒り死にさせてしまおう、と持ちかけた。存信も「その言はまさに我が意に合う。すぐ実行しよう」と応じた。

存孝は病で床にあり、康君利と李存信が見舞いに来たと報せを受けて、人をやって二人を迎え入れさせた。存孝は布団を頭からかぶったまま横になっている。君利が「病はどうだ」と問うと、存孝は「胸に怒りがこみ上げて、薬も受けつけぬ」と答えた。君利は「たった今、我ら二人が父上からじかにこの薬を届けよと仰せつかってきた。これを飲めばすぐ癒えよう」と言う。

存孝はそこで「わしは長らく病んでいるが、五侯の兵とはもう交戦したのか」と尋ねた。康君利は答えた。お前が病に伏してから新しく一将が来た、姓は高、名は思継、赫連鐸の部下だ。盾を一面構え、背には飛刀二十四把を挿し、百歩先の敵を取って外すことがない。右手には渾鉄の槍を使い、万夫不当の勇がある。この男に七十二陣も討ち破られ、今日は父上が五百家将と十二太保を率いて出陣したが、これまた大半を打ち破られた。見たところ世の英雄はこの男ひとり、弟は好漢と称されてはいるが、この男には及ぶまい、と。

病を押しての出陣

これを聞いた存孝は大声で叫んだ。「無念だ、腹立たしさで死にそうだ。誓ってこの賊を討ち取り、わが志のほどを明らかにしてみせる」と。ところが激怒したことで全身に汗が噴き出し、体じゅうに汗が滲んで、甲を脱いだときに受けた風が冷や汗とともに抜け、病はそのまま癒えてしまった。存孝はただちに五名馬という馬を引いてこさせ、甲冑をつけて馬にまたがる。これを見た諸将は驚かぬ者がなかった。

存孝は数百騎を率いて城を出て高思継の軍を望むと、すでに陣立てを整えており、思継は陣門に立って鞭を振り上げ激しく罵っていた。存孝は騎兵の群れの後ろから突然躍り出て、「高思継の匹夫め、勇南公を見知っているか」と呼ばわる。五侯の兵はこれを見て、みな肝をつぶした。思継は激怒して槍をしごき、まっすぐ存孝に突きかかる。存孝も畢燕檛を構えて迎え、十余合戦ったのち、存孝は槍を押しのけて大喝一声。その瞬間を、主を失った戦馬が宝鞍を載せたまま空しく退き出て、思継はひょいと摘まみ上げられて存孝の馬の鞍上へ引き取られた、と対句で言い表す。(対句一聯)

存孝はそのまま賓州城へ乗り入れた。五侯の人馬はめいめい慌てふためき、それぞれの本拠へ逃げ帰った。

高思継の釈放

存孝が思継を馬の下に下ろすと、諸将が一斉に進み出て縛り上げ、晋王の前に引き出した。晋王は斬れと命じたが、存孝が「父王、お赦しください。私の配下に置いて使いとうございます」と願い出たので、晋王はこれに従った。ところが思継は涙を流して「たとえ大王が殺さずとも、私はもうこの命を使う気はない」と言う。存孝が「わしに従う気がないのなら、父王に申し上げてお前を放してやろうか」と問うと、思継は「本当に帰してくださるなら、あなたは仁も義もある好漢だ。山東へ帰ったら、誓って人と争うまい」と答えた。存孝が「なぜそこまで言う」と重ねて尋ねると、思継は「死の淵から生き返ったこの身だ。これからは三頃の地に身を苦しめ、一張の犂を手にして、悪を改め善に従う」と言った。存孝は「ならば今すぐ放してやろう」と言い、その場で縄を解かせ、衣服を与え、酒肉をふるまい、出立にあたってはさらに鞍を置いた馬まで贈り、人を付けて城外まで送らせた。思継は拝謝して山東へ去った。

逸狂は一首の絶句を作り、英雄は昔から英雄を惜しむもの、義をもって高郎を釈したのがこの日のことであった、これより犂ひとつ提げて帰っていった後は、短い蓑に春の雨、夕陽のなかの風とともに暮らすのだろう、と讃えた。(詩一首)

沁州への封

李晋王は五侯の人馬が退いて内外に事がなくなったので、後宮に戻り、いかにも嬉しそうな顔をしていた。劉妃が「妾はいつも大王が眉をひらかれず、憂い顔で国家を案じておられるのを見てまいりました。今日はどうしてそのようにお喜びなのですか」と問う。晋王は「五侯は高思継の勢いを頼んで城下まで迫り、たびたび我が兵を破った。今日、存孝が病身のまま高思継を脇に挟み取り、五侯の人馬を退けたのだ。どうして喜ばずにおられよう」と答えた。

劉妃は「この人はたびたび大功を立て、まず黄巣を滅ぼして唐室の天下を回復しました。わたくしどもの富貴も、まことにこの人のおかげです。古人は徳には徳をもって報いました。大王はどうして沁州を封じて鎮守させ、心地よく過ごさせておやりにならないのですか。それこそ結構なことでしょう」と勧める。晋王は「お前の見立てはまことに明らかだ。わしもちょうどそうしようと思っていた」と言い、人をやって存孝を呼んだ。

晋王は存孝に、お前は数年わしに従って苦しい血戦を重ね、日夜休むひまもなかった、わしが富貴を得ているのはみなお前が回復してくれた力による、今や天下もおおむね定まったのだから、爵を封じてお前の功に報いるのが道理だ、沁州は富饒の地で魚と米の郷である、そこへ封じて鎮守させ、一方の王として富貴を享けさせよう、どうだ、と告げた。存孝は「私に何の功労があって、この職に当たれましょう。その上、父上の膝下を離れることになります」と辞退した。晋王は「辞退するな。兵二万と副将六員を率い、即日赴任して職務に当たれ。過ちがあってはならぬ」と押し切る。存孝は頓首して拝謝し、人馬を率いてまっすぐ沁州へ上り、任に就いた。

妬みから出た謀

晋王配下の諸将のうち、康君利と李存信の二人だけは存孝に服さず、つねづね讒言の心を抱いていた。この日、晋王が沁州を封じたのを見て、内心ひどく嫉んだ。君利は存信に「父上の人の扱いにはなぜ軽重があるのか。あの羊飼いあがりを金や宝のように可愛がり、賓州では気楽にしていられまいと言って、今度は沁州に封じて富貴を享けさせる。我らとて汗馬の労はあるのに、どうして人を草芥のように扱うのか」と持ちかけた。

存信は「存孝が外へ出た今こそ事を起こす好機だ。一計を思いついた。存孝を、葬る地もないような死に方をさせてやる」と言う。君利が「その計とはどういうものだ」と問うと、存信は耳元で数言ささやき、ただこうこうすればよいと告げた。君利は「その計はまことに妙だ、急いで実行しよう」と応じ、相談はまとまった。

令剣と改姓の迫り

翌日、二人は晋王に目通りして「我らは長らく閉じこもっていて武事に慣れず、体も鈍っております。ひとまわり狩りに出たく存じますので、父王のお許しを」と願い出た。晋王が許すと、二人はただちに馬に乗り、弓を持ち矢をつがえて賓州を出て、まっすぐ沁州へ向かった。早くも小校が存孝に知らせる。

存孝は階を下りて出迎え、三人は顔を合わせて兄弟の情を語り合った。存孝が席を設け、酒がなかばに及んだころ、存孝は「わざわざのお越し、何か教えていただくことでも」と尋ねた。君利は「もっぱら弟のことで、知らせに参ったのだ」と切り出し、こう偽った。お前が沁州へ行ってから、父上は終日酒色に耽って政事を顧みず、大将の呼延が諫めたところ、父上は激怒して斬ってしまわれた。そして五百家将、十三太保のうち実の子は一人だけで残りはみな義子だと言われ、皆にもとの姓に戻れと命じられた。もと趙姓の者は今は趙に戻っている。お前も李姓ではなく、もとの名は安景思だ。安景思の旗印を立てて、骨肉の親疎をはっきりさせよ、と。

存孝は驚いて「父上はまことに耄碌なさったのか。そんな道理があるものか。わしは死んでも姓を返上はせぬ」と言う。存信は「姓を返さぬというなら、ここに父上の令剣がある。従わぬのなら我ら二人にお前の首を斬って父王のもとへ持ち帰れとの仰せだ」と迫り、康君利も「兄者は数年お側に従いながら、父上の気性が烈火のごときことをまだ知らぬのか。令剣がある以上、すぐに改めるほかあるまい」と畳みかけた。

存孝が従うかどうかは、次回に続く。

評語

卓吾子の評。高思継は晋の兵を七十二陣も続けて破ったのに、李存孝は病をおして袋の中の物を探るようにたやすく縛って連れ帰り、しかもこれを釈放した。その英雄ぶりを惜しんだのではなかろうか。晋王は功に報いて存孝に沁州の食禄を封じたが、存孝は康君利・李存信が功と爵を妬んで向けてくる恨みを免れられまい。

原文(底本)
卻說李嗣源敗了一陣,得薛阿檀引兵救援,退入城中,堅閉不出。高思繼日夕在城外搦戰,存孝病不能起,晉王親自煎藥,遣康君利、李存信二人,送至存孝帳內。晉王吩咐二人,若存孝有問,只說不曾對敵,若說高思繼是好漢,必然怒激存孝,其病難好,二人領命去了。

  當日,康君利對存信道:「這老漢用人不當,一般皆是太保,偏他愛牧羊子。不如先對存孝說,思繼好漢,先氣死了這賊。」存信曰:「此言正合吾意,即可行之。」卻說存孝染病在牀,人報康君利、李存信二人來探病症,存孝遣人迎接二人入見。存孝以被蒙頭而臥。君利曰:「汝病若何?」存孝曰:「心中嘔氣,藥不能用。」君利曰:「適來老父遣吾二人逕送藥來,服此即愈。」存孝曰:「吾染病許久,不知五侯之兵,曾與交戰否?」康君利曰:「自汝染病之後,新來一將,姓高名思繼,是赫連鐸部下,使一面防牌,背插飛刀二十四把,百步取人,無有不中,右手使一條渾鐵槍,有萬夫不當之勇,被他殺敗七十二陣,今日老父引領五百家將,十二太保出陣,又被殺敗大半。看來世上英雄,只有此人,兄弟雖然人稱好漢,亦不及此人矣!」

  存孝聽罷,大叫曰:「苦哉!氣殺我也,誓殺此賊,以彰吾志。」原來存孝激怒,渾身是汗,遍體生津,卸甲風出了這一身冷汗,其病即愈。遂叫備過五名馬來,乃披甲上馬,諸將見者,無不駭然。存孝引數百騎出城,來望高思繼兵,已布成陣勢,思繼自立子門下,揚鞭大罵。存孝從群騎後突然而出,曰:「高思繼匹夫!見勇南公否?」五侯兵看見盡皆驚駭。思繼大怒,挺槍直取存孝。存孝挺畢燕檛來迎,二人戰上十餘合,存孝逼開槍,大喝一聲,正是:

    戰馬寶鞍空退出,滴溜拿過馬鞍來。

  逕進賓州城去。五侯人馬,各自驚慌,逃回本鎮。

  存孝將思繼放於馬下,眾將一齊向前捆縛,來見晉王。晉王喝令斬之,存孝告曰:「父王赦之,留與兒部下聽用。」晉王從之。思繼泣曰:「縱大王不殺,吾亦不用這性命矣!」存孝曰:「汝不願跟吾,告父王放你若何?」思繼曰:「果肯放回,你是有仁有義的好漢,吾到山東,誓不與人相持矣!」存孝曰:「何為如此?」思繼曰:「我在死裡復生了一遭,這一去,苦身三頃地,付手一張犁,改惡而從善矣。」存孝曰:「只今便放你去。」隨即放起,與了衣服,賜之酒肉,臨行又贈鞍馬,差人直送出城。思繼拜謝,往山東而去。

  逸狂有詩一絕,贊云:

    英雄自古惜英雄,義釋高郎此日中,

    從是一犁歸去後,短蓑春雨夕陽風。

  卻說李晉王,見五侯人馬退去,內外無事,回入後宮,欣欣然而有喜色。劉妃進曰:「妾每見大王,常時眉頭不展,臉帶憂容,以國家為慮,何今日如此喜也?」晉王曰:「五侯倚著高思繼雄勢,逼臨城下,累敗吾兵。今日存孝帶病挾了高思繼,退了五侯人馬,如何不喜?」劉妃曰:「此人累有大功,先滅黃巢,恢復唐室天下,吾等富貴,實賴此人也。古人以德報德,大王何不將沁州封他鎮守,使其快樂,豈不為美!」晉王曰:「汝見甚明,吾正欲如此!」遂使人喚存孝來。晉王曰:「汝自隨我數年,苦爭血戰,日夜不得休息,吾受富貴,皆賴汝恢復之力。今天下略定,合宜封爵,以報汝功。沁州富饒之地,魚米之鄉,封汝去鎮守,獨霸為王,受享富貴何如?」存孝曰:「兒有甚功勞,敢當此職?又拋離膝下。」晉王曰:「汝勿辭,可領人馬二萬,副將六員,即日上任供職,勿使有失。」存孝頓首拜謝,便領人馬,逕上沁州,赴任去訖。

  卻說晉王部下眾將中,只有康君利、李存信二人,不服存孝,常有讒譖之意。當日,見晉王封出沁州,心甚忌妒。君利遂與存信商議曰:「父王待人,何有輕重,把這牧羊子愛如金寶,言他在賓州不得自在,今封在沁州,受其富貴。吾等亦有汗馬之勞,何待人如草芥也。」存信曰:「存孝出外,正好行事,吾思一計,使存孝死無葬身之地!」君利便問:「計將安出?」存信附耳低言數句,只消如此如此。君利曰:「此計甚妙,可急行之!」商議已定。

  次日,二人入見晉王,告曰:「兒等久困,不習武事,身體疲倦,欲去打圍一遭,請父王尊旨。」晉王許之,二人即上馬,持弓搭箭,出了賓州,逕投沁州而來。早有小校報知存孝。

  存孝降階而接,三人相見敘訴兄弟之情。存孝設席,酒至半酣,存孝曰:「有勞下顧,何事見教?」君利曰:「專為吾弟一事,特來報知。自汝到沁州之後,老父終日耽樂酒色,不理政事,有大將呼延諫阻,老父大怒殺之。稱言五百家將,十三太保,只有一個親兒子,餘都是義子,叫眾人都出了姓,原姓趙今還姓趙。吾弟卻不姓李,原名安景思,可豎起安景思的旗號,以別骨肉親疏。」存孝大驚曰:「吾父真老悖耳!豈有此理?吾寧就死,不敢出姓。」存信曰:「既不出姓,老父令劍在此,若不出姓,叫我二人斬汝首級,去見父王。」康君利曰:「兄長相隨數年,尚不知老父性如烈火,既有令劍,即可改之!」

  未知存孝肯從否?且聽下回分解。

  卓吾子評:

  高思繼連敗晉兵七十二陣,而李存孝扶病縛歸,一如探囊,且又釋之,毋乃惜其英雄耶?晉王報功,封存孝食祿於沁州,恐不免康君利、李存信妒功爵之忌耳!

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